【小話】うたの話【更新】

【うたの話】

先ほどから慌ただしく、右へ左へ荷物を探っているしろ。

「何うろうろしてんだ。邪魔だ。」

席の目前、狭い通路を落ち着きなく動く物体に、はちは容赦なく苛立ちを露わにする。

「僕、思いついちゃったんです。ここには音楽が必要だと。」

「おんがく?」

きらきらした目が覗いてきた。
はちは机に肘をつく。

「ええ。本屋さんでは何かしらの曲が流れていますよね。あまり意識する事はないですけど、気が付いたら口ずさんでいるような懐かしいものから、最新ヒット曲まで。美容室でもラジオが流れてたり。」

「最近の曲はわかんねぇし、美容室なんざ行った事ねぇよ。」

目をそむけ、突き放したように言うはち。

「僕が考えるに、音楽には人の心を落ち着ける効果があると思うんです!」

「ならまさに、お前に必要なんじゃないのか?」

暗に普段の突飛な行動を咎めたつもりだったが、

「だから、ここには音楽が必要なんですよ。」

逆手をとられた。
してやられたはちが口元をゆがめる。
しろは笑い、無音が支配する黒蝶堂を見渡した。

「静けさは恐怖心や不安感を煽ります。ある種の緊張感があります。音楽は、人の気持ちを操作する力があります。それも、僕らよりも凄く上手にね。」

研究の為のフィールドワークです!と、しろに連れ出されるがまま訪れた大手CDショップ。最新ヒットチャートランキング欄は、もはや未知の領域だった。ジャズ、クラシックから、アニメソング、フォークソングまで隈なくチェックしていくしろを放置し、店内に設置されたベンチに座った。

途端耳に飛び込んできた、トランス系ミュージック。ピコピコ音が、やけに印象に残る。本当に人が歌っているのだろうか。加工に加工を重ねた音は、もはや原型を探る事は難しい。時代の変化に乗ろうとしていない自分に苦笑し、気づけばずいぶん歳を重ねてきたものだと知った。

「これが大人になるってことなのかねぇ。」

遠くからしろが、幾枚かのCDを手に駆けてきた。
どれがいいですかねぇと無邪気に笑う。ああそうだ、とはちは出発当初から抱いていた真実をぶちまけた。

「知ってるか?うちにはCDプレーヤーなんて高度な物、無いんだぜ?」

その笑顔が凍りついた。完璧に、忘却の彼方だったようだ。


帰路では、一言も交わさなかった。


帰宅すると、机の上に大きな塊が乗っているのが視界に入った。はちは職業上、おそるおそる近づいた。
掛けられた布を勢い良く外し、素早く後ずさる。我ながら、無様な姿だ。
しかし何も起こらない。

それは古ぼけたレコードプレイヤーであった。

「懐かしい!」

しろの顔に笑顔が戻った。

「一体どこから探し出してきたんだ…?」

二人の記憶がよみがえる。
三年前まで、黒蝶堂の片隅で音を奏でていた存在。曲名もリズムもわからないが、静かにそこにいた存在。

「あなたたちが騒がしいから、必要ないと思ったのだけど。」

見上げた頭上。いつもの本棚の上に、いつの間にかゆりが座っていた。

「普通の登場ができねぇのか!」

はちの叫びの横で、ゆりはふわりと床へ飛び降り、レコードに触れた。

「しろの説も一理あるかと思って連れてきたの。この子は優秀だけど高齢だから、ちゃんと労わって頂戴ね。」

「ゆりちゃん、ありがとうございます!大事にします!」

同じくレコードの傍に寄ったしろ。

その後ろではちは、

「やれやれ、また近代化から一歩引いちまったぜ。」

誰にも気づかれないよう微かに笑い、操作手順を習うしろの、楽しそうな横顔を見て、

「これで落ち着くなら、最初っから苦労しちゃいねぇっての。」

欠伸を噛み殺し、二階の自部屋へ上がった。

机の引き出しの奥、学生時代に買ったレコードが眠っているはずだ。

黒蝶堂に音楽が戻ってくるのは、また別の話。


【了】
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【小話】しゅーるな話【更新】

【しゅーるな話】

「よく、呑み込みが早い事を、『スポンジが水を吸収するように』っていいますよね。」

黒蝶堂の表玄関をほうきで掃きながら、しろが隣のはちに聞いた。

「まあ、文語調な気がするがな。」

書類整理から一時的に解放された、昼休憩の時間。はちの表情には疲れが浮かんでいる。

「なら、最初からスポンジなら、仕事の効率が上がったり、テスト前に苦労して単語を覚えなくてもいいってことですよね。」

はちは耳を疑った。
いやな予感しかしない。こいつの突飛な発想は、一体どこで拾ってくるのだろうか。

「そろそろ仕事に戻るか。」

反射的に切り返したが、

「昨日一晩かけて、考えたんです!そして、答えにたどり着いたのですよ!」

それより早く突きつけられた、一枚の紙。逃亡は失敗した。
眼鏡をかけ直し、じっと見つめる。

「…なんだこの気持ち悪い物体は。豆腐か?」






名付けて、スポンジボクです!」


「ギリギリアウトだ!その色合いもやめろ!」

誰の為に、こんなに焦っているのか。噴き出してきた冷や汗に、はちは不快感を感じた。

「色合いって、ただの緑と青ですけど…?」

「そっちじゃねぇ!文字の色だ!」

「はちは言葉に色が付いて見えるんですね!その眼ください!」

「やるか!自前のがあんだろうが!」

しろは、ほうきで地を撫ぜた。
その中には、梅の花びらが混じる。

季節は飽きもせず、確実に移り変わっているようだ。

頭を抱えたはちに、自信満々にオリジナル設定を語り聞かせるしろ。はちの苦悩は、楽しげな彼に伝わる事はない。

「踏みつけてやりてぇな。」

「やめてください!人間がこの姿なら、すべてを受け入れられるのですよ。つまり、人間の最終形態です!」

しろの話は延々と続くのが特徴だ。
ご高説のにもまれ、うんざりした気分が蓄積される最中、ふと湧き上がった疑問。
聞く価値はあるかもしれない。

遠くに小島が見えた。

「でもスポンジなら、踏みつけられたら、全部溢れちまうんじゃねぇのか?」

「溢れたら、また吸い込めばいいのですよ。」

甘いですね、と人差し指を立てる。

「なるほど。」

反撃ののろしは上がった。
甘いのはどっちだ。結局は人間の形でもスポンジでも、やることは一緒じゃねぇか。
忘れたら、思い出せばいい。零れたら、また戻せばいいだけだ。

「はちの分も作ったのですよ!スポンジハチです!」

意気揚々と取り出そうとするしろを、手で制した。

「必要な時にちゃんと思い出せるなら、それでいい。オレはスポンジより人間でいてぇな。」

まじめな声音で、軽く笑えば、そうですか、としろは瞬間、落胆の表情を浮かべた。
よし、この話題はここで終了だ。はちが内心ガッツポーズを決めた瞬間。

しろはすぐに目を輝かせ

「ならこれは、床の間に飾りましょう!」

ほうきを放り、目にもとまらぬ速さで、堂内へ駆けて行った。

「ちょっと待て!それだけはやめろ!」

早く仕事に戻ればよかった。いつも後悔する自分に幻滅しながらも、はちはその後を追った。



【了】

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【小話】しゃれの話【更新】

【しゃれの話】

「315円になります。」

支払いは任せましたよ、としろがにこにこと笑う。はちが眉間にしわを寄せた。

なぜお前の、ガラクタにしか見えない「雑貨」とやらを、オレが買わなきゃならんのだ。この、間の抜けた表情のウサギの置物は、一体何に使うんだ?「かわいいですよね!欲しいですよね!」って、お前は女子高生か。
「チョーカワイインダケドー。アリエナクナーイ?」ってか。
いい加減いい年なんだから、そろそろやめておけというオレの助言は”シカト”するんですか、そうですか。だからオレは店の外で待つって言ったのに、ついてきてくださいなんて。何かもらえるのかと思いきや、結局こういう事かよ。最初から奢らせる魂胆だったんだな。

仕方なく、財布を覗けば、1000円札が一枚。小銭は10円玉が一枚に、1円玉が2枚。
はちはしばし唸った後、1000円札を差し出した。
子供のころは500円玉を使う事に抵抗のあったはちだが、今も大して変わらないようだ。

「1000円からでよろしいですか?」
店員の女性は、若く綺麗な人だ。はちはなおさら恥ずかしくなった。オレじゃなくて、あいつが欲しがってるんです。オレはこんなファンシーな物を飾るなんて趣味は、持ってないんだよ。なあお姉さん、誤解しないでくれよ?

聞かれてもいない言い訳を、楯のように並べ立てる。少しだけ、ぼんやりしてしまったようだ。

「お客様?」

女性が困ったように笑う。

はちは、はっと我に返り、

「ああ、1000円からで。すんません。」

咄嗟に返した。

途端、後ろのしろが噴き出した。顔を真っ赤に染め、腹を抱えて笑っている。
はちは商品と釣銭を受け取り、唖然とする女性に軽く会釈を返しながら、笑いが止まらないしろの、首根っこをつかんで店を出た。

店先で、その頭をはたいた。ごつんといい音が響く。

「何するんですか!」語気は強いが、口元は緩んだままだ。

「いつまでも笑ってんじゃねぇよ!誰のせいだ、誰の!」

「はちのせいでしょう!?」

「え?」

「冗談のつもりで言ったのでしょう?あまりの寒さに笑うしかなかったのですよ。」

はちは腕を組み、しろの意を汲もうとした。が、思い当たらない。
しろは構わず続ける。

ゆうもあが大事だと、ゆりちゃんに言われてたじゃないですか。なかなか初歩的ですが、自然に出来ててよかったと思いますよ。店員さんには伝わってませんでしたがね。」

しろはそう言うと、はちの手から包みを奪い取り、走った。

なんてくだらない話なんでしょう!?


【了】

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【小話】てれびの話【更新】

【てれびの話】

「カーリングってどうなったら勝ちなんですか?」

夕飯時、一階の畳の間。丸型の炬燵の向こうで、しろが問うた。
テレビでは夕方のニュースが始まっていた。遠くの地で行われているというオリンピック。
現地に派遣されたアナウンサーが、選手の紹介や、地元の盛り上がり様を熱く語っている。

「解説者の方に、何度も説明されるんですが、理解できないんです。」

「そんなに興味がねぇからじゃねーの?」

しろは白米をよそった茶碗を、はちに渡す。
それを受け取ったはちは、沢庵に箸を伸ばす。沢庵とみそ汁に、野菜炒めと白米。
今日も今日とて、質素な献立だ。

冬の競技は夏とは違い、どことなく親近感が得られない、「特殊」な種が多い、と、はちは思っている。加えて、寒さに弱いはちは、彼らの行動意思に疑問を抱いている面もある。寒気最高潮の季節にわざわざ氷のステージなんざ、モニターの前じゃわからねぇが絶対寒いに決まってる。冬に運動しようとするなんざどうかしてる、と。

とは言いつつも、毎日、時間が合えば興味深々に観戦しているのを、しろは知っている。

もちろん、炬燵で温まりながら。

「わかるようになりたいです。テレビの中だけで盛り上がってるなんて、ずるいと思いません?」

「思わねぇよ。」

間髪いれず、しろの手首が空を切り、木製のしゃもじが飛んだ。

堅い柄の部分が額に見事クリーンヒット!派手な音が響き渡り、はちは声もなく悶絶した。

しばしの間の後、

「痛ぇ!お前!何しやがる!」

箸を机に叩きつけ、赤くなった額をさすり、中腰になったはちを、しろは冷ややかな目線で見上げ、

「この気持ちがわからないなんて…テレビを見る資格がないですよ!」

すぐに食事を再開した。

「ああ!?視覚は自前のがあるに決まってんだろ!頭のネジを、流しに落としてきたんじゃねぇのか?!」

「ネジは不燃物ですよ!最近はごみの分別の規制が厳しくなってるの、知らないんですか!?」

「そういう意味じゃねぇよ!」

売り言葉に買い言葉。どこか噛み合わない会話を繰り返し、険悪なムードになった二人を割いたのは、突如流れ始めた雑音だった。音に呼ばれた二人は、はっと我に返った。

画面を支配する砂嵐に、立ち上ぼる黒い煙。ブラウン管を内蔵したそれは、とうとう寿命がきてしまったようだ。

「はち!テレビが!」

しろが涙目で訴える。

「やべぇ!買い換える金なんてねぇぞ!」

はちが慌てふためく。ただでさえ世間に置いていかれているこの空間。
貴重な情報源が無くなるのは、大変な痛手だ。

駆け寄り、スイッチを押すが反応なし。コード接続を確認するも、素人目には異常なし。
ざぁーっと響き渡る不協和音。
気味悪さが空気を侵していく。

「まさか憑…」

はちが呟いたとき、当初から二人の間に座り、野菜を頬張っていたゆりが立ち上がった。
テレビの隣で立ち尽くすはちの傍に寄る。はちは思わず後ずさった。

ゆりはゆっくりと右手を挙げ、テレビの上に勢い良く振り下ろした。

数回繰り返す少女を見守っていると、変化が生じた。
暫くは画像の乱れと波打ちが続いたが、四度目に叩いた後、先ほどのアナウンサーが現れたのだ。
ゆりは得意げな顔をするでもなく、

「こういうのは叩けば治るの。そういうものなのよ。」

至って冷静に、席へと戻っていった。

「早く食べて終いなさい。いつ仕事が入ってくるか、わからないのだから。」

「あ、ああ。」

「そうですね!」

暫くはまだ、このテレビが活躍し続けるようだ。


【了】

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【小話】服装の話【更新】

【服装の話】

「賑やかね。」

本棚の上、膝に商売道具であるはずのハードカバーの書物を乗せた少女は、顔を上げ呟いた。
堂長席に座ったはちは、声の方へ顔を向ける。表では高校生の集団が固まっていた。

紺色の塊は女子高生のようだ。
静かな堂内には縁遠い、華やかな黄色い声は、たった一枚硝子戸を隔てただけとは思えないほど、遠い世界のものに感じられた。会話に夢中な彼女たちは、両者の視線に気づく気配すらない。

「登校中なんだろ。朝から元気なことだな。」

はちは大した興味も示さず、再び手元の資料へ目を落とした。ゆりから渡された、土地の権利書だ。
これだけではない。黒蝶堂を継ぐに当たっての、細々とした雑務が机上の大半を占拠している。
それらを「見上げ」、ため息をこぼす。すべての書類に目を通し、サインを加え、それぞれ契約を結び直さねばならない。気の遠くなる作業が立ちはだかる。

「皆同じ服を着ているのね。」

ふと、ゆりが零した。

「あ?そりゃそうだろ、学生は制服って相場が決まってんだよ。」

「だけど、靴や髪型は違うわ。」

「ああ、まあそうだな。」

はちは適当にあしらい、読めれども理解不能な、やたら難しい文体との勝負を再開した。



「賑やかね。」

本棚の上、膝に商売道具であるはずのハードカバーの書物を乗せた少女は、顔を上げ呟いた。
堂長席に座ったはちは、声の方へ顔を向ける。表では大学生程度と思われる年頃の集団が固まっていた。

静かな堂内には縁遠い華やかな黄色い声は、たった一枚硝子戸を隔てただけとは思えないほど、遠い世界のものに感じられた。会話に夢中な彼女たちは、両者の視線に気づく気配すらない。

「そらもう夕方なんだから、解放されたんだろ。…あ?」

デジャブを感じたはちは少々やつれたように見える。ゆりの手により次から次に追加され、積み上げられた書類。
朝から作業を潰していたはずが、開始時よりも明らかに仕事が増えている。明日もおそらく、HP∞の敵と戦い続けなければならないだろう。考えるだけで頭痛がするな、とはちは思考を止めた。

「皆同じ服を着ているのね。」

同様に、ゆりが零した。

「あ?そんなことはねぇだろ。全員私服だろうが。」

その指摘通り、彼女たちはそれぞれが思い思いの服で着飾っている。

「一緒じゃない。暗めの色合いの羽織りに、黒色の股引…」

「『ジャケット』と『レギンス』の事か?」

カタカナに弱いゆりへ、すかさずつっこむはちを、

「よくわからないけれど」

一言でバッサリ片付け、

「背中に届く茶色の巻髪に先端のとがった長靴。後ろから見たら、誰が誰かわからないわ。」

首をすくめた。

「そりゃ『ブーツ』だ。服装だって、確かに雰囲気は似てるが、ちょっとずつ違うぜ?それに、それが流行ってやつだろ?」

凹んだはちは食い下がる。ゆりの言わんとしている事がいまいち掴めない。

その様子にあきれた視線を送り、ゆりは付け足した。

「彼女たちも、個性を滲ませようと努力した時代を経ているでしょうに、晴れて『自由』の身になった今になって、『同じ』に逆戻りするなんて。戻らざるを得ない理由は各々あるのだろうけれど、皮肉な話だわ。」

一方的に嘆くと、再び本の世界へ旅立った。

はちは首を傾げたが、唐突な雑談がブツ切りされた事に感謝し、再々度戦闘に向かった。


【了】

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【小話】絵の話【更新】

【絵の話】

「しろ、何をしてるの?」

狭い屋上を訪れたゆりは、傍らに分厚い本を抱えている。東の空から届く光に、黒目がちの目を細めた。
その視界に入った画板と、彼の足元に転がった絵具の山。しろは声に体を震わせ、怯えた目で振り返った。
彼のこんな表情は珍しい、と、ゆりは興味を持ち、隣に移動した。

「ゆりちゃん、早いですね。」

「私は黒蝶堂の憑者よ。ここで起こっている事なら、小さな変化も見逃さないわ。」

「見てなくてもわかるんですか?それはすごい。」

しろは普段通りに笑った。朝方の澄んだ空気の下で、息が白く空気へ溶けていく。筆を左手に持ったまま、
人差し指を立てた。お決まりのポーズだ。

「絵を描いてるんですよ。」

確かに画板には、画用紙がセットされている。が、まっさらだ。ゆりは

「それは知ってるわ。聞きたいのは、いきなり絵具を使うの?って事よ。」

と問うた。

しろは笑顔を崩さず返す。

「いえ、まだ始めたばかりですから、今日はイメージを練ってるんですよ。」

「いめぇじ?」

首をかしげる少女。
ああそうだった、と合点がいき、言葉を探る。

「ああ、えっと、対象と、置く色を大まかに考えてるんです。」

「なるほど。構想ね。」

「そうです。」

その場に座ったしろの隣で、少女は腕を組む。邪魔になった本を、無造作に床へ置いた。
しろは絵具の山に手を伸ばした。一番上の、赤。チューブは下部から折りたたまれ、限界までこき使われているのがわかる。画板は端が擦り切れており、筆もパレットも、大人の彼にとっては小さなサイズだ。

「夢を見たんです。昔の夢を。」

穏やかな口調で語りだした。沈黙に苦痛を感じただの、場を持たせなければ、という配慮でもない自然な切り口。

「中学の美術の時間でした。事前に下書きを済ませておいて、清書を美術室で行うという、よくある風景です。」

ゆりは横に座った。彼がタオルを広げようとするのを片手で制し、それで?と先を促す。

「僕は絵が好きでしたから、先生にもよく褒められていたんです。その時も清書は既に終わっていて、クラスメイト…同級生よりも先に、色付けに取りかかりました。」

自慢する風でもなく、ただ淡々としろは言葉を紡ぐ。

「そんな中で、ずば抜けて進行速度の遅い生徒がいました。」

「まさか?」

「そう、はちでした。」

両者は足元で眠る彼の預かり知らぬところで、顔を見合せて笑った。

「はちは僕の隣の席でした。清書どころか、まだ下書きの段階で、鉛筆を走らせてました。時折先生がやってきて言うんです。『早くしないと、居残りになるわよ』って。」

「要領が悪いのは変わらないわね。」

「そうなんですよ。それでですね、授業が半ばにさしかかった時の事です。見回る先生の目に、はちの手が映ってしまったのは。」

「というと?」

「はちは街の風景を描いてたんです。学校から見える、ビル…えっと、建物と煙突の乱立する入り組んだ風景。僕は裏山を描いてましたから、正反対でした。はちは定規を手にとって、建物の側面をなぞりました。その時に運悪く先生が来て、周囲に、声高に告げた。「『皆見て、こういう風に絵を描いてはいけません。たとえまっすぐに見えても、実際は傾いたり、歪んだりして見えるはずで、フリーハンド…定規を使ってはならない。』と。僕らは手を止め、素直に頷きました。はちは不思議そうに彼女を見上げてました。」

「決まりがあるの?」

「そうではないですが、その授業では紙と鉛筆だけを使って描くのが、暗黙の了解で、かつ、疑う余地のない真理でした。で、僕は驚いたんですよ。」

当時を思い出したのか、しろは首をすくめた。

「はちは立ち上がって、真顔で言ったんです。
『もしビルがまっすぐじゃねぇなら、即座に倒れるはずだ。なのに倒れない。つまり、建物は計算に計算を重ねて建てられ、その設計図には寸分の狂いもない。それを基に作られたもんがオレの目に映って、紙に書き写されるだけだ。だから定規を使うのは否定される筋合いはないし、むしろ必須な道具だ。』
って。」


ふざけた様子のないはちに、教室全体を静けさが包んだ。

「そしてこう続けたんです。『オレの家も確かにボロくて古いから、ちょっとした風やら雨で崩れ落ちそうなありさまだ。だけどなんだかんだで今日まで、倒れることなく立ちつづけてる。まっすぐじゃなかったら無理な話だ。古さでうちに勝るのは、この街には数えるばかりだろうし、街中のビルが当てはまる可能性は低い。うちでさえまっすぐなんだから、言うまでもないだろう?』って」

「うち」とは言うまでもなく「黒蝶堂」の事だ。

「とんだ理屈を並べた、腹立たしい子どもね。」

「今ならそう思います。先生の指摘したかったのは建物の形態や描画手段ではなく、直線で切り捨てられる、別の何かだったのでしょう。ですが当時の僕は、はちの考え方も一理あるなと思ってしまったんです。なぜか一瞬で、自分の絵が褪せて見えた。」

先生に認められるために描いた、「綺麗な」絵が霞んでしろの脳裏をよぎった。

「彼女は一瞬言葉に詰まりました。放課後はちは、美術室へ行きましたよ。終わらない絵を終わらせるためにではなく、呼び出されたんです。『教育的指導』を受けるためにね。」

妥協という言葉を知らなかった当時のはちは、意固地に主張を続けた。
利益があるだとか、引き下がれば格好がつかないとか、そういう理由ではない。

それが原因かは分からないが、はちの美術の成績はいつも低かった。
事件が起こる前も後も、彼の絵は壊滅的な出来だったからだ。

「なあなあで生きてる、今からじゃ想像もつきませんが。」

しろは過去を懐かしむように、双眸を細め、冗談を交えた。
ゆりは「本当ね。」と同意した後、上体を伸ばした。東の空に陽がすっかり昇っていた。途端、しろの腹が鳴った。

ゆりは赤面する彼を仰ぎ見た。

「おなかがすいたわ。しろ、邪魔して悪いのだけど朝食にしましょう。まだ寝てる奴を、叩き起こして頂戴。」

しろは快諾し、画材を片づけ始めた。ゆりはその背中に向かい、小さく呟いた。

「私がいる限り、ここは倒れないわ。」

言葉が届いたか否か、確認する事もなく少女は本を抱え、二階への扉を開けた。


【了】

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【小話】コンビニの話【更新】

【コンビニの話】

「賑やかですね。」

大通りを歩くしろは隣のはちに声をかけた。目線の先には眩しすぎる小型の、便利な店。
入口付近では学校帰りの男子学生が集団で屯し、各々アイスやら菓子やらを手にふざけあっている。

アーケード内にコンビニエンスストアが進出してきたのは、ごく最近の事だ。
少なくとも彼らが黒蝶堂を去った三年前には、古着屋が存していた。

「そうだな。便利な世の中になったもんだ。」

大して興味がないらしいはちは、常套句を並べた。そして、両腕に下げた買い物袋を見てげんなりした。
まとめ買いが安いのです!とただでさえ苦しい家計に追い打ちをかけるような主張に押され、あれもこれもと手を伸ばした結果がそこにはあった。

「エンゲル係数100%だな…。」

はちは眉をひそめた。
しろがすかさず反論する。

「ちょっとずつ買うと、無駄が多くなるんですよ。彼らのご両親だって、夕飯を作って待っているでしょうに…。」

高校生の隣を抜けた。

「まあ悪いことだけじゃねぇだろ。」

アーケードを抜けた時、はちは軽い口調で言った。

「どういうことですか?」

「行ったことはねぇが、コンビニは便利なんだろ。」

「僕もないですけど、おそらくそうなんでしょうね。」

「なら、金銭面では損かもしれねぇが、時間を短縮できるってわけだ。」

そうなりますね、と同意したしろに、

「つまり、あいつらは時間を買ったんだよ。」

はちはたたみ掛けた。

しろは首を傾げた後、

「はち、時間は誰にでも平等で、お金じゃ買えないんですよ。」

至極真面目な顔を向けた。
どうやら言葉回しが通じなかったようだ。
歩き疲れていたはちは、つっこみ権を放棄し、

「あいつらにはもっと欲しいもんがあるのさ。」

戸を開けた。ゆりが留守番をしているはずだ。

「今日のはち、ナルシストな詩人みたいで、なんだか気持ち悪いです。」

後ろ背に感じる冷たい視線。煮え切らない思いが、ため息となって外へ出た。


【了】

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【小話】せんたくの話【更新】

【せんたくの話】

「まったく、洗濯物が干せませんよ!」

黒蝶堂一階に顔をのぞかせたしろは、手元のカゴを指差し、ため息をついた。
カゴの中には昨晩洗濯機で揺られ、後は物干し竿に吊られるのを待つだけの衣類の山。

「仕方ねぇだろ。うちには乾燥機なんて高級なもんはねぇんだから。」

堂長席に座るはちは、外の傘の群れを見ていた。色彩豊かな彼らは足早に、白い煙の向こうへ流れていく。
平日の朝、最悪の天候。隙間から侵入してくる、生温かい空気。

季節感が狂う気候だ。

「おい、今は冬だよな。」

「久々の雨で、頭にカビが生えたんですかね?」

洗濯物をハンガーにかけ、部屋干しの準備をしていたしろは手を止めた。
続けて、動物の生命力ってすごいですね、と感嘆する。

「ちげーよ。むしろ、お前の発想力と発展能力に脱帽だ。」

「ありがとうございます。」

しろは笑った。

対照的に頭を抱えたはちは、

「ちょっと気になったから聞いてみただけだ。」と付け足した。

昼過ぎに陽が注ぎ始めた。しろは待ってましたとばかりに階段を駆け上がっていく。
二階を超え、目の前に広がった狭いスペース。
決して立派とは言えないが、しっかりした作りの、黒蝶堂の屋上だ。
手を陽に透かし、体を伸ばした。雲の合間からのぞく、穏やかな光。

「全部、この子たちに下さいね!」

しろは空に向かって呼びかけた。


【了】

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【小話】ねぐせの話【更新】

【ねぐせの話】

「寝癖、すごいですよ。」

はちは、指摘された前髪を軽く押さえ、

「うるせぇ。なおらねぇもんはなおらねぇんだよ。」

しろが運んできたお茶を一口啜った。

今朝はちが見た時にはすでに、黒蝶堂のレジ兼堂長席の机上に、一冊の冊子が置かれていた。
表紙には『黒蝶堂日誌』の文字。
黒川はち、と名前欄は丸みを帯びた字で埋まっている。

「おい、これは何だ。」

視線の先には背の高い本棚の上に座り、書物を膝に乗せた少女・ゆりが黙々と文章を追っている姿があった。
ゆりははちを一瞥し、

「あなたが堂長としてやるべき仕事の一つよ。今日からさぼらず、毎日書きなさい。」

一息で言うと、再び本の世界へ旅立った。

「つまり、日記ですね。」

閃いた!と言わんばかりのしろの隣で、はちは苦虫を奥歯ですりつぶしたような表情でページをめくった。
まっさら。日付も罫線もない。
ただあるのはページとページを区切る、赤い栞。黒い蝶が描かれている。
はちはそれを机へ放り、天を仰いだ。

「こういうのは、苦手なんだよなぁ…」

夏休み最終日、慌てて日記を涙目で埋め尽くした小学生の頃の自分が、未だにここにいる。

【了】

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説明

秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

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