【小話】ハードルの高い百貨店【更新】

【ハードルの高い百貨店】

遙光の街でも有数の老舗デパート・鹿々苑(かがぞの)百貨店。その7階には、小さな喫茶室がある。幼少期から祖父に連れられ、店に寄っては世間話に付き合わされた黒川はちと、食に関して飽くなき探究心を持ち、はち同様、彼の祖父・伊織との同席を繰り返した氷山しろは、黒蝶堂の遣いで喫茶室のマスターを訪ねていた。マスターは伊織の逝去後も黒蝶堂と懇意にし、時折、書物の配達を頼むことが多かった。「今日は2人で来て欲しい」とのマスターからの依頼を受けた彼らは、長い世間話に相づちを打ち続けた。

そして、

「・・・ったく、いつも話が長ぇんだよな」

解放された両者は、デパートの一角を歩いていた。

手を逆手に組んで背伸びを一つ。肩や腕の骨を鳴らすはちは、ふぅと溜息一つ吐き、埃一つ落ちていない、冷たい床を歩いていく。

「デパートって、いいですよね」

その隣。朗らかな表情のしろは、両腕を広げ、まるで清浄な雰囲気漂う湖畔を散策しているかのように、空気を胸一杯に吸い込む。そして、左右に広がる専門店に引き寄せられては、通路に戻るといった”移り気”を体現していた。

しばらくの後。
エスカレータに向かっていた途中、便所に寄ると、後ろ手を振ったはちは、進行方向を斜め前方に定めた。すると、雑貨屋から出てきたしろがその背中に呼びかけた。「なんだよ」と振り返る彼に、しろが左手で看板を指さし、右手を頬に添えて囁く。

「それ、紳士用ですよ」

「・・・問題ないだろ」

青い男性用マークに、少しだけ顔を険しくしている彼が指す先、確かに、マークの下には黒色で”紳士用”とある。隣に並び立つ女性用トイレには、赤いマーク。下には同様に”婦人用”とあった。はちは「婦人用に入れってのか?オレを社会的に抹殺する気か?」と、しろに合わせて小声で返すが、

「聞いてますか、はち」

白い青年は、自らの懸念を口にする。

「お前こそ、聞いてんのか」

「はちこそ、紳士ですか?」

しろははちの進路を妨げ、人差し指を突き出した。

「もっかい言いますけど、”紳士”用なんですからね!」

「だから、わかってるっての!」

しびれを切らしたはちが声を荒げた。過ぎ行く老夫婦とベビーカーを押す母親たちが足を止め、何事かと彼らを見やる。そして、遠巻きに様子を窺っているのだが、彼らは気づきもしない。

「紳士しか使ったら駄目なんですよ、ハードル高いですよ!」

そんな指摘に、はちは、

「・・・どっからどうみても紳士だろ?」

トーンダウンして、自分の服装を確認する。いつも通りの仕事着である。寝ぼけて婦人物のスカーフを巻いている・・・なんてことはない。しかし、しろの真剣な表情が、写真に撮られて顔に張り付いたがのごとく固まったから、はちはなおさら、わけがわからなくなる。

「・・・とにかく、行ってくるからな」

白い彼の脇を通り、はちは敷居を跨いだ。



新しく改装されたであろうのか。入ったトイレは見慣れた立ち便所ではなく、屋外に置く簡易トイレのような個室が4個並んでいた。珍しいもんを作るんだなと、はちは少しの戸惑いの後、一番近い個室をノックし、ノブに手をかけ、くるりと回して足を踏み入れた。

途端、鼻先が硬いものに当たった。下がって見ると、扉の内側に、内戸が設けられていた。今度は左手で、その戸を押しやる。また戸がある。今度は、スライドさせるタイプだ。

眉間のしわが増えた。

更に進む。また戸。今度は引き戸。それでも開ける。が、まだ戸が彼の前に立ちはだかった。

進み続けていくばくか。
いい加減に引き返すかと考えていたはちのつまさきが、ゴールを踏んだ。最後の小さな空間の壁に洗濯流しが取り付けられ、隅にはデッキブラシが押し込められていた。

「・・・掃除用具入れだったか」

入ってすぐのところに作るなんざ、紛らわしいな。
はちはそう呟くと、すべての戸を逆順に閉め、共通の廊下に戻ってきた。



はちは、手前から2つ目に入ることにした。
開くとほぼ同時。眉をひそめ、「・・・どういうことだ?」と、思案を巡らせることになる。

個室内には、なにもなかった。人がいない・・・という意味ではない。本当に、なにもない。四方を白い壁に囲まれた、ただの空間である。ここも掃除用具入れかと、はちが踵を返す。

と、入ってきたはずの扉が消えていた。一面、白い壁が立ちはだかっている。思考停止ののち混乱し始めた脳内が、もう一度前を見よと忠告する。前にはだだっぴろい廊下が延々と延びていた。果てすら視界にはない。はちは額の脂汗がタイルに落ちるのを感じた。右に1週、左に2週。くるくるくるりと回ってみるが、見れば見るほど廊下は四方八方に広がっていく。もはや、どちらから入ってきたのかも、方向感覚を奪うなにもない空間に吸い込まれてしまったかのようだ。助けを呼ぶにも、携帯電話など持っていない。公衆電話もない。

とりあえずポケットを探る。

と、硬い金属製のなにかに指先が触れた。それは、このデパートに出かける前、黒蝶堂の少女が棚の上から投げつけてきたものであり、「持っていって頂戴」と言われたものであった。ポケットから引き抜き、二つの穴に指を通す。すると、穴と連結する、交差した金属がその刃先を光らせる。ポケットから引き抜き、掌に納めた。その正体は、銀色のハサミ。「なんでこんなものを店に持っていかねぇといいけねぇんだ」と、はちは抵抗したのであった。が、今は違う。少女のが「早く使って頂戴」と頭の中で言っているような錯覚を覚え、藁をも掴む思いで空中に刃先を走らせた。

すると、文字通り、空間が"裂けた"。障子を破き、向こう側に土間が見えるかのような感覚だ。

「・・・わけがわかんねぇな」

そういいながらも、はちは広がった外の世界に、足を踏み出した。脱出に成功したのであった。



「3番目には、花子さんがでるんですよ」

しろの弾んだ声が脳裏によぎる。

「・・・馬鹿馬鹿しい」

ありえねぇっての。見間違いだろ。

はちはそう呟き、扉を押した。

「・・・嘘だろ?」

結論から言えば、いた。

ただし、人間ではない。

四つ足動物だ。

しかも、犬や猫ではない。

大きな角になめらかそうな茶の毛並み。黒い目がじっとこちらを見ている。

はちは思い出す。
ここは何という店だったか。確か、

「”鹿”々苑百貨店・・・?」

「馬”鹿馬”鹿”しい」「安直すぎる」「どういう意味だ」「誰が」

異常事態にはちが頭を抱える。突っ込みの言葉を選びきる前、雄鹿が突っ込んできた。背中を無様に見せながら、廊下へでる。慌てて扉を閉める。鹿の角が、扉を割って外に飛び出した。はちは全体重を掛けて扉を押さえつけた。そして、転がっていたデッキブラシを足で蹴りあげ、斜めに掛ける。再度、内側から力強い突進が食らわされたが、しばらくすると、おとなしくなった。

間一髪、間に合った。

「・・・おかしいんじゃねぇのか、この店は」



警戒するなと言う方が無理な話である。
はちは様子をうかがい、4つ目をそろっとのぞき込んだ。

そこには、普通の洋式便器が輝いていた。

「まったくよ・・・」

ノブを持ったままの彼は、しばらくその場に立ち尽くしていた。



「待ちくたびれましたよ!」

「・・・いろいろあってな」

はちは洗面所を後にし、出入り口付近にある休憩室を覗いた。座っていたしろに呼びかけると、しろはすっと立ち上がって近くに寄ってきた。

「なにか悪い物でも食べたんですか!」

「・・・へ?」

顔色が悪いですよと、彼は続ける。

「なに食べたんですか?痛んでたんですか?それともおいしくなかっただけですか!」

矢継ぎ早に問うてくる白い彼に、

「・・・便所で物を食うかってんだ」

早く帰るぞと、はちは歩み始める。

「もしかして、用を足せなかったんですか?」

心配半分、面白半分でのぞき込んでくる青い目から目をそらしつつ、エスカレータに乗る。

「やっぱり、はちは紳士じゃなかったんですね」

聞き捨てならない言葉が発せられた。

――そう、数分前までは。

はちは一息つき、

「あれを使える奴が紳士だって言うんなら」

言葉を切り、

「・・・オレは紳士じゃなくて十分だ」

仏頂面で、ぼそりと言い放った。

その頃。
青いマークの下。”紳士用”の黒文字のシールが、一風吹かれて剥がれ落ちた。ちょうど通りかかった人影が、それを拾い上げて眺める。そして、休憩室のベンチを引きずり出し、それに乗って、”彼女”が新しいシールを貼りつけた。

そこには、黒文字でこう書かれていた。

――そう。

”新仕様”、と。


【了】

スポンサーサイト

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】秋の夜長とサクシな少女【更新】

【秋の夜長とサクシな少女】

「ご存じの通り、お米がありません」

「・・・あぁ、よくよく存じてるよ」



夕食時。腹を空かせた黒川はちは、水、カラの皿、それと調味料だけが並べられているテーブルを見て、いやな予感を覚えた。不安を更に煽るように、遠くで、どたどたと地を荒らす足音が響いている。気は進まないが仕方なく縁側に行くと、しろが庭で踊っていた。

――まさか。

目をこすり再確認する。やはり、踊っているのではなかった。しろは長い柄を握り、その頭を操って、夜の庭にてなにかを捕まえようとしているところのようだ。
一人分の気配に気づき、しろがくるりと振り返る。彼が肩に提げているのは、蛍光緑色のアミカゴ。手に持っているのは、大きな虫取りアミであった。屈託のない笑みと、汚れた掌で合図したしろは、

「もうすぐ、捕れますから!」

と、アミを振って見せた。

「ちょちょ、ちょっと待て!」

直感的ではあったが、はちの脳裏に、気色の悪い風景がよぎった。皿に盛られ、佃煮かと思って箸で摘んだそれが、実は足の多い黒い生き物の成れの果てであって、「意外と美味しいんですよ!しかも、タダで手に入る!」と、躊躇無く、それをばりばりと咀嚼するしろのいる食卓である。そういえば、「ご飯が買えないなら、ぼくたちの主食を変える必要がありますね・・・」と、神妙な面もちで話していたことを思い出し、同時に悪寒を覚えた。

「お米がなければ、虫さんを食べればいいじゃないですか!」

そんなことを平然と言ってのけそうな青年であることは、同居人のはちが誰よりもよく知っていた。

――飯が虫に侵食される!?

はちは頭を抱えて縁側にうずくまった。その姿に、しろが不思議そうな顔で近寄って「はち、大丈夫ですか」と首を傾げる。「大丈夫じゃなくなるかもしれねぇ・・・」との返答に、しろは笑って、

「お金にするんですよ!」

だから大丈夫になるはずですと、胸を張った。

「・・・は?」

突飛な発言に、はちの思考が止まる。

「虫を捕まえて、その音色を売ればいいのです」

録音して売り出せば、都会の人なら買ってくれるかもしれません。ほら、山の湧き水だって、ミネラルウォーターってラベルを貼れば商品ですよね、似たようなものですよ。

人差し指を立て、しろは熱弁を振るう。どことなく話がつかめないはちは、事情を解そうと、おそるおそるカゴに耳を寄せた。が、なにも聞こえない。それもそのはずで、はちが網越しに中をのぞき込むと、そこには一匹の虫も存していなかった。

「すばしっこくて」

しろは「なかなか難しいんです」と、ふてくされ、

「はちが営業魂を磨けば、こんな事は必要ないんですよ!」

日中の堂長の勤務態度について、厳しく指摘した。ころころと表情の変わるしろとは対照的に、はちは、

「・・・あいにく、持ち合わせがなくてな」

ため息と自嘲的な笑みで彼に応じた。内心、ほっとしていた。「虫料理の献立は先送りされたようだ」と。

その安堵は、突如として霧散する。

「もっと優れた場所があるわ」

神出鬼没なる少女が、はちの背後に気配無く現れ、しゃがみこんでいた彼の肩に触れた。衣服越しでも冷たい彼女の手である。静かな襲撃に縁側に踏みとどまれなかったはちは、呆気なく庭へと転落した。



三者は、とある河原に到着した。遙光の街を流れる”紅川”のほとりで、肌をなぜる涼しげな空気に覆われている。昼間はまだ残暑が厳しいが、ここは既に秋の様相を醸し出していた。

黒蝶堂の庭も騒がしいが、それ以上に、鈴虫の合唱がそこかしこから聞こえる、月光の美しい夜だ。さわさわと夜風が足下の草むらを揺らし、水面はいたって穏やかで大人しい。「捕り放題ですね!」文字通り諸手を挙げて走っていくしろを放置し、はちはきょろきょろとあたりを見渡した。

最初は耳鳴りかと思っていたが、それにしては長い。

「・・・なんか聞こえるんだよな」

どこからともなく聞こえてくる特徴的な高音の音源を、目で探していた。正月や盆祭り時によく流れている祭り囃子のようだ。

「・・・こんな遅くに、川辺で練習か?」

言うと同時に、自然と両足が動いていた。徐々に大きくなる音と、奏者の息づかい。その後ろ姿が見えてきたところで
「痛ってぇ・・・」襲ってきた頭痛に、気を取られていた――

途端

――視界が灰色に支配された。

条件反射で目をつぶる。水鉄砲の数倍の威力で飛んできた水流は、たちどころに収まった。すさまじい水圧が、眼鏡のレンズにかかり、前髪や上着やらがびしょ濡れになった。滴ごしに見える仁王立ちの少年の姿。

周囲に水の渦を漂わせている彼が、威勢良く啖呵を切る。

「人間が、何の用事だ!?」

ゴーグルが、月光を鋭く反射している。その下に光る瞳が、はちをキッと睨みつける。少年の名前はカコ。時折黒蝶堂にやってきては、ゆりと一悶着を起こす、はちの悩みの種の一つである。

「何の用って・・・別に大したことじゃ」

対峙する少年とはちとの間に、少女が割って入った。はちが頭を抱え、ため息を一つついた。

「ごきげんよう、零落童子」

「その名で呼ぶな!」

叫ぶと同時に、彼の指先から鉄砲水が発射された。
月が陰って、地上が暗闇に落ちた。

次の時。

はちは目を丸くした。

草むらに、うつ伏せに倒れていたのは、少女の方だったからだ。彼らはいつも一触即発の雰囲気であるが、いつもゆりが優勢で事が終結を迎えているから、まさかゆりが屈服させられるなど、思いも寄らなかったからである。

しかし、はちの心配は杞憂に終わる。

すぐ後、少女のリボンは溶け、ゴーグルに変形した。はちはまたもや目をこすり、眼鏡をかけ直す。そこには、倒れた少年の前で、

「貴方には、錯視に映ったかしら?」

自分に問いかける少女の姿があった。仰向けに転がっている少年の口には、白い紙の束が詰め込まれ、完全に気を失っていた。「いったい、なにが・・・」はちの戸惑いに答える代わりとして、彼女が隣の空間を指でノックした。と、ドア1枚分ほどの空間に大きなヒビが入り、粉々に砕け散った。「単なる鏡よ」と、簡易な説明を彼女がするに、得心がいくはずもなかったはちは、腕を組み、「・・・どういうことだ?」と問うた。が、少女は答えず、じっとはちを見るだけである。その代わり、

「まさに策士ですね、ゆりちゃんは」

遠くへ走り去っていたはずのしろが、険しい顔をしたはちの隣に佇んでいた。竜胆の紋が描かれた横笛を、「本物の少女」は気絶した彼の脇に置いた。少年の肩がぴくりと動いたが、目は閉じられたまま。ゆりは何事もなかったかのように、両者の近くへ無言で歩き、しろを見上げた。

「どうかしら、ここは?」

尋ねるのではなく、事実を確認するような調子でゆりが問う。しろは満面の笑みで答えた。

「こんな素敵なところがあったんですね!」

そして、こう続けた。

「一番いい場所を見つけましたよ!」



伸びをして草むらに背中を預けたしろは、明るい夜空に手を伸ばして、

「この安心感は、機械には収められませんね」

青い目を、まぶたの裏に隠す。
少しの間が流れ、

「・・・単に録音機がねぇだけだろ」

両手を後ろ手についたはちの呟きが吐かれた。間髪いれず「なんて情緒のない!」との、嘆きがこだまする。耳を押さえる隣人に、

「蓄音機なら、あるんですよ」

黒蝶堂の隅で音を奏でる彼の存在を、改めて主張したしろである。
しろの案内で到達した場所は、ちょっとした広場のようになっていた。適度に草むらが広がり、砂利も少なく、空を見上げるにはとても都合がよかった。しろに促され、しぶしぶ寝転がったはちではあったが、目前に広がる星屑の瞬きに、すぐに目が釘付けになった。空を雲が風に流され月が露わになると、今度は眩しい月光に晒され、星がなりを潜める。そのまま目を閉じると、あちらこちらからりりりと鳴り響く鈴虫の声が、ぐっと近くなったように感じる。こだまを重ねるような音色に、はちの意識は黒い底なしの無意識へ落ちていく。少女が「そろそろ時間よ」と言わなければ、このまま、眠ってしまいそうであった。



3者は家路につき、ゆったりとした足取りで黒蝶堂へ向かった。夜道を月が照らすため、3者はまっすぐ黒蝶堂の見える場所まで戻ってきた。

そして、黒蝶堂の前の通りに差し掛かったとき、

「あれ、どなたかいらっしゃいますね」

中学校の制服を着た少女が、店の前で膝を抱えていた。

「まだ開いてますか!?」

彼女はすっと立ち上がり、大股で歩を進めた。そして、「この本が欲しいんです、今すぐ!」と、四辺が茶色に変色した古いメモの切れ端を通学鞄から取り出し、はちに突きつけた。「こんな夜に、だとか、なぜうちに、だとか、学生がわけありなのは疑うべくもないが、はちは問わずに黙ってメモに目を通す。うっすらだが見覚えのあるタイトルにはちが頷き「うちにある」と発言。と同時に、当書物が白い手によって彼女に差し出されていた。

「これで、間違いないですか?」

「あ、これ!これです!」

しろに微笑まれ、彼女はかすかに頬を染める。わずかの間の後、キャラクター物の財布を取り出した。そして、代金を紙幣で支払うと、彼女はぺこりと礼をして、夜道を走り抜けて行った。

「・・・いったい、なんだってんだ」

あれほどまでに古い本を、今時必要とする時と場合があるのかと、はちは腕を組み、眉をひそめる。

「新しいとこには、無いんでしょうね」

しろは柔らかく笑み、「でも危ないですね、こんな時間に一人で外出だなんて」と、彼女を気遣った。

両者の後ろを歩いていた少女は、彼女の後ろ姿を見送り終えてから、

「明るい月夜が見守ってくれるわ」

眩しげに、目を細めて告げた。

庭ではうるさいほどに、鈴虫の合唱が続いている。


【了】

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】なつやすみをさがせ!【更新】

【なつやすみをさがせ!】

「夏休みなんて都市伝説ですよ!」

ニュースを読み上げるキャスターに相づちを打つかのように、しろはモニターへと語気を強める。

「・・・夏休みは一般的に知見された休日だ。」

それに対しての静かなる指摘が提示される、夕食時の黒蝶堂。

夕暮れが少しだけ早まり、赤とんぼがあちらこちらを飛行し始めた今日この頃。「まもなく二学期が始まります」との司会者の前置きが、白い青年のなんらかの琴線に触れたようだ。

「都市伝説なんざ、ただの嘘話でありえねぇことだ。二つはイコールじゃねぇだろ。」

口を動かすのも面倒だと言わんばかりの最小限の動きで、ぼそりと告げるは、向かい合って座るはちである。彼は”妖怪””幽霊””都市伝説”等々の存在をまったく信じていない。だから、その類の話に話題が及ぶと、すぐに「馬鹿馬鹿しい」と切り捨てる。それがゆえ、口を挟まずにはいられない性分を持ち合わせている。
すると、テレビに反射していたしろの青い目が、はちのレンズへと向けられた。

「ならば、なぜうちには休みがないんですか!」

「・・・開店休業状態だからだ。」

「事実だが、言葉にするとやっぱり悲しくなってくるじゃねぇか」と、いっそうの疲労感を濃くしたはちに対し、しろは不服そうに、

「希少価値は都市伝説と同じくらいじゃないですか!」

ヤジを飛ばす論客がごとく、声を張り上げる。

「だから、存在するはずがねぇもんと比べんなって!」

そんな反論にも耳を貸すことなく、しろは頬を膨らませ、ため息を吐いたはちの前で、「夏休み・・・なつやすみ・・・」と、呪文がごとく呟くのであった。

翌日。

”探してきます。
(はちは)探さないでください。”

丸文字の書き置きが、堂長席の机に張り付けられていた。

括弧書きする意味が分からんと、寝起きの頭をばりばりと掻くはちは推察する。

――昨夜の様子から察するに、探そうとしているのは、夏休みか、しろ本人かの2択。当然、夏休みは見つけに行くもんじゃねぇから、オレがやつを探すということになるだろう。ともすれば、文章に言葉を補うとすれば(ぼくを)になるのだろうが。

「・・・探さねぇよ。」

一蹴したはちは書き置きをくるりと丸め、ゴミ箱に捨てた。なにか皮肉の一つでも飛んでくるかと身構えるが、応答無し。棚の上を見ると、いつもの少女の姿が無い。ふらりとどこかへ出かけてしまったのだろう。

はちは腕を大きく回し、ストレッチを一つ。

――静かな一日になりそうだな。

思いも寄らぬ吉報が舞い込んだかのような、めったにない予感を大切に飲み込み、朝食を摂るため奥間に戻った。



――うちは、こんなに広かったんだな。

時刻は午前10時28分。先ほど時計を確認してから、まだ10分・・・正確には、9分しか経過していない。客人はまだ1人も来店せず、黒蝶堂前の弁当屋の主人が仕込みをしているさまがガラス戸ごしによく見える。堂内に一人で居るせいか、いつも以上に部屋が広く感じるのであった。仕方なく、書物の整頓をしたり、ハタキを持って棚をはたいてみたりする。棚の数が多いため、仕事の量は多い。更に、いまだ棚に並べていない書籍も、自宅の各部屋やら客間のあちらこちらやらに積まれているから、はち自身、この店の総冊数を把握し切れていなかった。娯楽小説の背表紙並ぶ一角で、その一冊を開き、すぐに閉じて、棚に戻す。

――よくもまぁ、こんなでたらめを書けるもんだ。

本が出版されているという事は、これを読む人間、もしくは読破した人間も存在するという事実にほかならず、

「物好きも多いんだな」と、感心すらする始末であった。

一度、堂内を整頓しなければならないと改めて思っていた矢先、彼は頭を悩ませるものにけつまずいた。

それは堂内の棚と棚の間のすきまに転々と転がる、謎多き骨董品らしき物であった。祖父の生前から置かれている物品で、どれもどう処分していいかわからず、そのまま放置している現状である。しろが毎日簡易な手入れをしているためか、埃を被っているものはないが、染みついた古さは隠しようがなかった。しかし、それらを片づけるスペースはない。ごったがえす本の群と、折り重なるがらくた達には、行き場がない。

はちは、一人思う。

――うちは、こんなに狭かったんだな。



昼時になり、席を離れた。台所に立ち寄るが、しろの姿はない。「まだ帰ってねぇのか」と呟きながら、はちは冷蔵庫を開けた。

彼は、目を疑った。

梅干しと調味料以外、なにも入っていない。冷蔵庫を閉め、周辺の戸棚に目を配る。米櫃も空っぽであり、菓子パンの類も、カップラーメンもストックがない。

「・・・オレは、いつもなにを食ってたんだ」

丸めて捨てた書き置きを再度拾い上げ、シワを伸ばしてみる。どこかに昼食のことが書かれていないか、確認するためだ。未確認、即、再投棄。と、朝食の味噌汁がまだ残っていることを思い出した。それを温めていると、隣に白飯が置かれているのに気づいた。それをすべて鍋に入れ、ぐちゃぐちゃぐちゃと混ぜ、容器に戻す。水分を含んで膨れ上がった米を強引に移し終わると、鍋底が焦げていたことに気がついてしまった。しろ気に入りの、そして、この家で数少ない料理道具の一つに、である。

冷や汗が、背中を伝い落ちた。

「・・・水に浸けときゃ綺麗になるだろうか」

完成した雑炊のような食物を腹に収め、残りを冷蔵庫に入れた。そして、カラにした鍋をシンクに置き、蛇口を捻った。



傘を持っていったのだろうか。
ふと気になったところで、連絡を取る手段はない。

しろもゆりも帰宅しない昼過ぎの黒蝶堂。朝方のまぶしい日差しはどこへやら。表通りは雨雲で灰色に染まり、ぽつぽつと地を濡らしはじめ、道行く人は皆、思い思いの傘をさして通り過ぎていく。

この時間帯になると、冷やかしの客がちらほらやってくる。売れるときもあるが、売り上げゼロの日が多いのは確かである。例えば、「これが最新のいちおしで」と、アパレル店の店員のような接客が可能であれば、もしかしたら売れぬ本も流行らせることができるかもしれない。

――いや、本はそんな風に売るもんじゃねぇか。第一、人の好みなんてわかるかよ。

一人で悶々と考えていると、頬杖がバランスを崩し、重力に従って自分の顎が机に引き寄せられた。睡魔に襲われたのだと気づき、慌てて体勢を整え口元を拭い、席に居直る。が、咎める者もなく、万年筆も飛んでこない。

湿度は高いが暑くもないし、極めて快適な気候だ。



通常なら夕食の時間帯。はちは空腹に押され、机にへばりついていた。

「・・・まだ帰らねぇのか」

思わず出た言葉が、更に空腹感を煽る。
と、

「ただいま戻りましたよー」

間の抜けた声が、黒蝶堂に響いた。
はちは足早に玄関へと向かう。サンダルを脱ぐしろが、「帰りました」と笑った。顔が陽に焼けて赤くなっており、ところどころ服も汚れている。彼の両手には大小様々の紙袋やら大判の布袋やらが提げられている。

「・・・どこいってたんだ?」

「書いてたでしょう!」

「あれじゃ、意味が分からん」

「夏休みを探しに行くって」

「・・・そっちだったのか。」

「あ、そうそう。おみやげがあるんです」と、しろは背中に背負っていたクーラーボックスをタタキに下ろし、勢いよくそれを開けた。ばばんと突き出すは、透明なビニール袋の中を漂う2の物体。怪訝そうなはちに、

「くらげちゃんですよ!」

しろは回想を語って聞かせた。



「海に入りたかったのに!」

「夏と言えば海だ!」と、彼にしては一般的な観念を採用し、思うがまま海岸線を目指した。だが、夏も終わりのこの季節に彼を出迎えたのは、プカプカと浮かぶ白いビニール袋のような生き物。それでも海に――それも、洋服のまま――入ろうとするしろの前に現れたのが、浅黒い肌をした男だったという。彼は漁師と名乗り、冷えたスイカをごちそうしてくれた。そして、「海には入らない方がいい」と助言し、肩を落としたしろに、クラゲをくれた、ということらしい。

「涼しげでしょう!」

「・・・で、夏休みは見つかったのか?」

水槽に移した2匹のクラゲに、きらきらとした目を向けるしろである。はちは、「どこがいいんだろうか」理解しがたいと感じながらも、しろに答えを問うてみた。

「ぼく、気がついたんです。夏休みとは」

「・・・とは?」

人差し指を立て、しろが機嫌よく答える。

「思い出話を、いかに楽しく伝えるか、なんです」

「・・・つまり、第三者に自慢したいだけじゃねぇか」

「これすなわち、共有と共存ですよ」

「よくもそんな、わけのわからん事を思いつくな。」

「それほどでも」

えへへと照れるしろに、眉をさらに一層寄せたはち。海の家すら退屈を持て余している海岸で、漁師はかき氷やら
やきそばやら焼きトウモロコシやら、いろいろと買ってくれたらしい。だから、「3個ずつ買ってもらっちゃいました。これが、はちの分で、こっちがゆりちゃんの分です」と、はちに白い袋の一方を手渡した。

「よくこんなによくしてくれたな」

「漁師さん、変な事を言ってたんです。」

「変な事?」

「『買ってやるから、2度と変な気を起こすんじゃない。若いから、やりなおせる。』って。」

「…そうか」

はちは多くは語らず、さっと受け取り、良い匂いに釣られて中身を取り出す。
「うまそうだな」と、海風香るようなそれらを手にとって、素直に反応した。




それからしばらくして。
堂長席にて、はちがそれらを食べ終えた頃、

「返す?」

更に、はちの眉間のしわが寄っていた。
しろはうんうんと頷く。

「くらげさんたちが生きていく上で、一番いい場所に。」

ひとっぱしり行ってきますと、白い彼は2匹を再度袋に詰め、表通りへと続く扉へと走っていった。

「せわしない奴だな・・・」

「貴方も探してきては如何?」

降ってきた言葉に、はちは息をのむ。

「・・・面倒なことは御免だ。」

平穏無事な毎日が送れるなら、それ以上のことは望まねぇよ。そう言うなり、傍らの棚を見上げた。

「てめぇがもう少し普通に帰ってくれば、オレの平穏はいくらか保証されるんだがな・・・」

高望みはしてねぇつもりだ。ただ玄関から帰ってくるなり、店側の表戸から入ってくるなりして欲しいだけなんだがなと、力無い嘆願をする。

「人間は、慣れる生き物よ」

常識の定規は幾度も書き換えられるわ。

音もなく棚の上に現れた少女は、能面のような無表情を瞬間、ほんのわずかに緩めた。その様子にはちが気づいたか否か、ゆりは気にも留めることなく、いつものように手元の書物をめくるのであった。



【了】

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

説明

秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

メニュー
twitter
    更新情報配信中