【小話】赤褐色の旅路【更新】

【赤褐色の旅路】

「結婚させて、今すぐに。」

「・・・は、え?」

睡魔に這い寄られ、思考が混濁し始めていた黒川はちは、夢の世界の入り口から現実世界に引き戻された。椅子に座り直す。その時、堂長席に一枚のそっけない書類が広げられているのを眼のはしに捉えた。上部には「婚姻届」と、強調するわけでもなく、淡々と置かれた文字があり、中腹には最低限に引かれた罫線のある、模範的な事務の様式を確認する。「こんなもんを差し出してくる奴は・・・」はちは眼をこすり、目の前の人間を確認しようと顔を上げた。このような素っ頓狂なことをしてくる人間は、ただ一人しか知らない。自分の同居人・氷山しろがあさっての方向に進展する発想に、自分を巻き込もうとしているのだ。

そう信じていたからこそ、はちは、そこにいた人間を足先から頭のてっぺんまでまじまじと凝視してしまった。頬をつねってみたが、わずかに痛覚がある。
豊かなブロンドの髪と、彫りの深い整った顔立ちの美女は、腰に手を当て、柳眉を寄せて眼前に接近してきた。「オハヨウゴザイマス」と唇が動き、はちは反射的に身を引く。遠くから見直しても、「芸能人です」と自己紹介されても納得しそうな程、光るようなオーラを放つ彼女に、まったくもって見覚えもなく、結婚を迫られるほどの関係であるなどということが、あるはずもなかった。

「人違いでは?」

「こういうのが専門なんだよね?」

客は凛とした佇まいで、薄茶色の瞳を揺らした。

「・・・専門?」

はちが戸惑いを示してみせれば、彼女は深く頷き、顎に指をかけつつ答える。

「ヒイゲンジツ的ジショウを強引に現実にする?」

「・・・それ、否定させてもらってもいいっスか。」

そんなことはやってねぇし、聞かれても困るんだがな。
口に出さないはちの前で、彼女は事情を語り出す。

「ワタシ、彼氏とうまくいってないんだ。」

1年程前から同棲を始めた。普段は仲が良すぎて、周りに”ドンビカレる”くらいなのに、毎度、同じことで喧嘩になる。最近は特に衝突が激しくなり、そろそろ限界がきそうだから、いっそ決着をつけたい。話の進行上、はちは理由を尋ねてみる。すると、彼女は目をつり上げて、

「チャンネル権の奪い合い!」

頭を両手で押さえ、髪を振り乱し始めた。「お、落ち着いて」美女の変貌に、はちの眉間の皺がより深く刻まれる。「だって、ワタシ、一度もリモコンを触ったことがないんだよ」と、半ば叫ぶように訴えてくる。

「ちゃんねるけんとは何?」

どうどうと暴れ馬をなだめる彼から遠く、平穏な入り口付近にて、本棚から降りてきているゆりが問うている。未来が見える能力で黒蝶堂を先導する彼女であるが、反面、カタカナ用語には滅法弱い。彼女の隣人であるしろが、深刻そうに応じる。

「むなしくも終わりのない戦いの引き金になる、恐ろしい権利ですよ。」

太古の昔から、人間たちは権利のために戦ってきたんですと、革命参加者のように重々しい口振りをする余裕すらある。一方、ぼさぼさになった髪を指でとかす程には正気に戻ってきた彼女が、改めて婚姻届けを指した。

「この紙で、どうやったら彼とTVが結婚できるか考えて。」

すごむと迫力があるのは、整った顔立ちだからであろうか?はちは、そんなの両者の合意と判子があれば十分だ・・・とまで考え、

「・・・彼と”ティーヴィー"が、なんスか?」

「結婚!ペラペラの用紙で人生を縛るの!」

思わず問いかけた。正気か、まさか、そんなバカな。喉までこみ上げた言葉を

「彼氏さんとの結婚は、考えてないのですか?」

いつの間に接近してきていたのか。会話に割って入ってきたしろの問いが、被さって打ち消した。

「もしもTVさんと結婚してしまったら、妻の座布団が埋まると思うんですけど、重婚の扱いになるのでしょうか。そうすると、彼氏さんは結婚詐欺で捕まってしまうかもですか」と、電波的発想を客である彼女にさえ、遠慮なく披露した。はちはため息を吐き、

「座布団じゃなくて”座”だろうが。」

埋まるも何も、TVじゃ無理だろと、小声で耳打ちする。
彼女はうつむく。両腿の脇で拳に力を込め、

「いっそTVと一緒になればって、これを突きつけてやりたいの。」

声は、かすかに震えていた。沈黙が、通り過ぎていく。

「・・・こんなもん、どこから持ってきたんスか。」

はちが場を繋いだ。

「リモコンの下にあったよ。」

引き出しの中、なぜか存在していたリモコンの下に、婚姻届けは小さく折り畳まれていた。今まで一度も触らせてもらえなかったリモコンを、ついぞ手に取った。しかし、TVを点けてみようとスイッチを押すも、反応がない。彼以外が触っても意味がないように、指紋認証でも設定しているのだろうかと考えつつ、リモコンをひっくり返したり、ふってみたりしていたところ、帰宅した彼に見つかった。赤くなったり青くなったりした彼は無言でそれを奪い、「ちょっと出てくる」と言って、まだ帰ってきていない。
目尻と鼻頭の染まった彼女は、ぐしゃりと書類を握った。

だが、弱っているのは彼女以上に、当の堂長である。慰めればいいのか、協力を願い出るべきなのか、いや、めんどうくせぇから放っておこうか。様々な思いが胸に去来して、

「・・・よくわからねぇ話っスね」

当たり障りのない発言に止まってしまうのはいつものことである。

「僕は、よくわかりましたよ」

客とはちとが、期待に満ちた眼と、呆れ顔一歩手前の眼で同時にしろを見やる。人差し指を立てつつ、しろは

「思いは、はっきり伝えるべきですよ!」

彼氏さんも、貴女もです!と、力の入った蒼い瞳で、彼女を鼓舞した。彼女は

「・・・わかった。」

「え、なにがわかったんスか?」

はちの戸惑いをよそに、

「ワタシ、がんばってみる!」

しろの勢いに押されたのか、胸の前でぐっと両拳を握ってガッツポーズを取る。闘志が芽生えたのか、瞳が爛々と輝いている。無造作に放られていた婚姻届けを颯爽とさらい、ハイヒールをかつかつと鳴らして、黒蝶堂を出ていった。「・・・いったい、何だってんだ」とはちが嘆けば、「現実を組み合わせれば、答えは一つね」ゆりが助言をした。

3日後、あるタレントの結婚が報じられた。
彼女の纏う、にこやかで人当たりの良さそうな雰囲気に、はちはしろに知らされるまで全く彼女が”あの”チャンネル権の彼女と同一視できなかったほどである。「なんでカタコトで喋ってんだ」この間は普通に話してたのによと、番組につっこみをいれてしまう。
 
囲み取材を受けている彼女に、リポーターがマイクを向けた。

「プロポーズの言葉は?」

すると彼女は饒舌に答えた。

家出していた彼が戻ってきて、すぐに問いつめたの。それで、リモコンを奪い取って確認したら、驚いちゃった。

「リモコンが、なにか?」

「『指輪を入れてたなんて考えられない!』って頬を軽くパシッと」柔らかい口振りの告白は、聞き手を置き去りにする。「勢いに任せて指輪を買ったはいいけど、なかなか決心が付かなかったみたいで、一度バレそうになったとき、とっさに隠した、って」

そこで、ワタシは言ってやったの。

「これ以上待たせるなら、今度はワタシが、貴方をここに押し込んであげる」って。

呆気にとられたリポーターが目を点にしている。中継は強引に切られた。スタジオに画面が切り替わるが、誰も質問をすることができずに一人の「独特ですね」の声にそれとなく頷いて彼女は評された。

はちは、リモコンに手を伸ばし、電源ボタンを押す。
そして、

「・・・結局、のろけかよ!」

「消さないでください!」

思いの丈を発した。そんな彼の手から、リモコンを奪い取り再度電源を入れるしろなのである。更にはちが電源を切るものだから、ここでもまた、むなしい争いが始まろうとしていた。


【了】

スポンサーサイト

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】朝焼けの空色【更新】

【朝焼けの空色】

「黒蝶、走れぇ!」

3塁ベースの脇で腕を回しているのは、確か八百屋の若頭だったか。こういうのは向いてねぇんだよと、懸命に足を働かせてホームを目指す黒川はちは嘆く。
商店街の有志による野球大会に代理で出てくれないかと話が持ち込まれたのは、昨日の夕方のことである。2人、どうしてもメンバーが足りないんだと言われた黒蝶堂は、白い青年の「おもしろそうですね!」の一言で参加を決定したのであった。
河川敷近くのグラウンドに、陽の昇る前に辿り着いた彼らを待ち受けていたのは、若者には負けないぞと鉢巻を締める生活雑貨用品店の親父であったり、朝から酒を飲んでいるのかと疑いたくなるほどぐでんぐでんの、声を荒げる飲み屋のじいさんだったり、スポーツをすると言うのにスーツ姿の、無口な不動産屋の若者であったりで、統一のユニフォームもなければ作戦もサインもなく、ポジションや打順すらも「50音順で」とのことで、なにもかもが「適当だな」と思うはちであった。今日の対戦相手は隣町の、言わば、似たような境遇の者たちの寄せ集め集団と聞いていたから、単なる運動不足の解消を兼ねた地域行事だと捉えていた。

だが、試合の始まる直前になって、チームメイトの目の色が変わった。「勝利しか許されない」とリーダー的ポジションの若頭が噛みしめるように言い、円陣を組んだ皆が無言で頷く。「黒蝶、わかってるか」屋号で呼ばれたはちとしろは、「わ、わかってるっス」「お任せください!」と各々応じた。

挨拶もそこそこに、試合が始まった。「スゴいやつがいるな」と一挙手一投足ごとに絶賛されるしろと、「まぁ、可もなく不可もなく」と評価を下されたはちは、時間もそれほどかからぬ内に、チームにとけ込んでいった。

ベンチに座っていると、彼らは次々に話しかけられた。最初はヒットを打つためのコツであったり、内野ゴロを捌くための足の動かし方であったりと技術的な話題が多かったが、試合も終盤に差し掛かり、大量リードを奪っていたチームには余裕が生まれていた。チームメイトらは、バッターボックスに入る前、入れ替わり立ち替わり、言葉は違えど、はちに尋ねる。「なぁ黒蝶」「なんスか」「あんたの店には”出る”のか?」「え」次に言う者は、「あんたは”ミ”えたりすんのか?」「は」まともそうに見えたスーツの不動産業は「君、店の評判を知ってるのか?」はちは声を抑えて答える。「そりゃ、いろんな客がきますから、噂は聞いて無くもないっスけど」ありえねぇっスよ、うちはただの古書店っスからと続ける。「そうなのか」と言うのは、八百屋の若頭である。試合は5回まで進んでいた。この表を押さえれば勝利、ということらしい。

若頭は言う。

「なら、俺が次の打席でヒットを打てるかわかるか?」

こいつ、聞いていたのか?オレの話を。
はちはつっこみをため息に変えつつ、「そんなのわかるわけが・・・」答えようとした矢先、今朝のゆりとのやりとりを思い出した。懐に、彼女から受け取った1枚の紙がある。それと壁に掛けられた各人の、特に若頭の各打席の結果をこっそりと見比べ、はちの頭にある思いつきが浮かんだ。

「・・・次は」

「次は?」

「・・・三振みたいっス」

はちの予言は今日、1本もヒットの出ていない若頭にはダメージが大きかったようで、意気消沈した彼は、「そうか」やぶれかぶれでやってみるかと、頬を叩き、きつい視線をグラウンドに投げると、バッドを握ってベンチを後にした。

大量得点でリードしていたにもかかわらず、最終回で試合は振り出しに戻っていた。2アウトランナー1、3塁で回ってきたのは本日絶不調の若頭の打席であったから、今朝は引き分けかと誰もが思った。

だが、その予想に反し、彼らは若頭のサヨナラ2ベースヒットで勝利を収めたのであった。

勝利を喜び合い、ベンチの片づけに戻ったはちは呟く。

「・・・これで、噂が少しでも薄まればいいんだがな。」

隣人のしろが、耳聡く近寄ってきた。

「もしかしてはち、若頭さんに嘘を言ったのですか?」

「・・・嘘じゃねぇよ、オレが予想してみせただけだ。」

はちはゆりに預かった用紙を懐から取り出し、広げてしろに見せた。5つの枠が設けられた図には、左から順に××××と続き、5つ目の枠内には、○が書き込まれていた。

「黒蝶堂は当たらねぇって話にすればいいんだろ。」

そもそも未来を読むなんざ、到底無理な話だってんだ。少しは噂が緩和されりゃ、妙な評判もなりを潜めるってわけだ。「でも結局当たってますよね。」ゆりちゃんはさすがですと言うしろに、「黒蝶、ありがとな」若頭が駆け寄ってきた。

「・・・当たらなかったみたいっスね」

やっぱり、うちはなんもねぇんスよ。はは、未来なんて見えねぇにこしたことはないっスと、饒舌に振る舞ってみるはちであったが、

「いや、これは当たったと言っても良い」

「・・・え?」

彼は、自分の耳を疑った。
誇らしげに言う若頭は続ける。

「黒蝶に現実を見てもらえば、未来は理想と重なる。」

「ど、どういう意味っスか?」

人に言えば不幸が幸福になる、逆夢と同じ理論だ。黒蝶は未来を成功させるため、あえて失敗すると言ってくれたんだろう?

なんにせよ、今日は勝って良かった。今度、うちに来てくれよ。少しは安くするし、黒蝶の評判も上げとくからさ。

「・・・ちなみに、その評判ってのは?」

「もちろん、黒蝶が未来を読む力を持つってことだ」

やっぱりそうだったんだなと感心する彼は、次の試合にも出てくれよと言い残して、グラウンドの片づけに走り去っていった。

「…思うようにはいかねぇみたいだな」

「それじゃあ楽しくないですからね!」

僕たちも力添えをしましょう!落胆し、疲れのどっと溢れ出たはちを横目に、しろは疲れを一つも見せず、若頭の後を追った。


【了】

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】インク流し【更新】

【インク流し】

「・・・うるせぇ。お前が悪いんだろうが」

「いいえ!はちが悪いに決まってます!」

ああ言えばこう言う。
その体現である黒白の言い合いは、黒蝶堂内に響き渡る。お互いの評価を下げる方向に引っ張り合う、ごく内輪で済ませるべき、内容の無いような口論が先ほどから続いている。
堂長席で肘をついた黒い方の人間・黒蝶堂堂長黒川はちが、白い方の同居人・氷山しろから視線を外し、たった今、黒蝶堂に足を踏み入れた客にピントを合わせた。彼は、少し遠くの客に声を投げる。

「・・・あの、メモを取る必要とかあるんスか?」

生きる意味を考えたことは?

え?

――え、と、戸惑う、と。
扉のごく近くの客人は、ボールペンを走らせ、手元のメモ帳に書き付けた。

「あなたたちが何気なく口にした言葉も、私を構成しているんです。」

遠くから投げ返される客の言葉に、しろは「そうですよね!」と大きく頷く。

「だから、はちには更正が必要なんです。」

「・・・どこからの順接なんだ?それに、更正じゃなくて、更生だ。校正しろ。」

「いいえ。これは校正せず、後世までつたえるべき事柄ですよ。」

「校正なんて言わないでください!」

突然、客が声を荒げるものだから、黒蝶堂は目を丸くする。いつの間にか堂長席の間近に歩を進めていた客は続け、

「公正な記事など、この世にはないんですから。いっそのこと自己完結自分本位的なメモにこだわるべきで・・・」

革製の鞄を開いた。取り出したるは、大小さまざまのノートで、それぞれを次々に開いては閉じる。「この後は、なんて言うのがふさわしいか」と呟き、ノートを交換しては、人差し指で頁をなぞっている。「それと、今のやりとりを記録するから、若干の時間をください」と告げながら。

発せられる漢字の見える目を持つはちは、「・・・面倒きわまりねぇな」と内心毒づき、混乱している脳内を整理するため、分厚い辞書を書棚から引き出した。

記憶か記録か。

どちらを探していたか、指が宙を切る。違う、コウセイについてだと、指先が自然と、いや、勝手に頁をめくる。

意識の向こう側にて、

「すべてを忘れずにいられたら、メモなぞ必要ない。」

客と同居人の会話は続いている。「そうですね、確かに」と、しろが相づちを打つ。と言う彼は、一度見たものは二度と忘れない、と日頃から豪語している。客は述べる。

「私は、事実が歪むのが許せない。誤解と改竄を防ぐための努力なら、いくらでもすべきだと考えている。」

ここにくれば、忘れないコツを教えてくれると聞いた。「・・・わけのわかんねぇことを」心中首を傾げるはちの開いた辞書の前に、一枚の紙が滑り込んできた。折り畳まれたメモに目を通す。

――人間を捨てる覚悟は?

投げてよこしてきたのは、棚の上の少女に違いない。はちは怪訝で一杯の視線を移す。少女・ゆりは相変わらず書物を膝の上に開き、黙々と文字を追っていた。

「・・・人間を捨てりゃ、記憶が永久に残るってか?」

素っ頓狂なことだとはわかっていながら、はちは少女に問うた。「また、わけのわかんねぇことを・・・」一種の謎かけなのか?と、その真意を尋ねたのである。
だが、少女に届く前に、客人としろとが、一斉に振り返り、同時に駆け寄ってきた。

「もう一度、今の言葉を!」メモを、メモを取りますからもう一度!!何を捨てるんですか?!と、客人が唾を飛ばし、「はちにしては面白いことを言いましたね!」どういう風の吹き回しですか!なんの風が吹いたのですか!と、しろが頬を紅潮させる。

段々と冷静になっていく頭で、はちは辻褄をあわせるべく、そして、この面倒な事態を鎮静化させるために、言葉を選び始めた。

「捨てるんだ。」

客が息をのむのがわかる。

もっともらしく聞こえるよう、堂々とせよ。
脳みそが焦燥感に駆られ、精一杯に言葉を探している。

「ペンを折り捨て、紙を燃やせ。」

しろがにこにこと見ている。目を見開いた客が、「でも・・・」と、鞄を持つ手に力を込めている。その目をじっと見据えて、はちはゆっくりと結論づける。

「本当に大事なことは、忘れない。」

それからすぐに、これはどこかで聞いたことのある台詞だなと気がついた。一体誰が言っていたのだろうか?いずれにしても、使い回された陳腐な言い回しだと、台詞の上塗りをしようとする。

だが、

「私、目が覚めました。」

この客人には効果覿面だったようで、

「全部を手放すのは、今すぐには難しいんですが・・・」

「少しずつでいいんじゃないんですか?」

戸惑う客の前、言葉を探すはちの横で、しろがアドバイスを加える。「記憶力を鍛えるには、美味しい食事も大切です!」と、根拠のないことを言っているものだから、

「・・・こういうのは、メモしなくてもいい。」

「わ、わかりました。」

客はアルコール中毒の症状のように、手がかたかたと揺れる腕を左手で押さえた。「本当に大事なことは、忘れない」小さく呟く客に、「・・・その意気っス」と、今はありふれた表現になってしまったその言葉を発明したのは、一体誰だったか、思い出そうとするはちである。やっぱり、忘れるときは忘れちまうもんだなと、口が裂けてもこの客人の前では言えない思いを抱えながら。


【了】

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】黒く白い捏造【更新】

【黒く白い捏造】

「わけあり物件に住んでいるんだ。」

単刀直入に、客人は切り出した。

「・・・どういう意味っスか?」
「わけありってことですね!」

黒白の二人が同時に口を開くものだから、客の耳には不明瞭な二重音が届いた。無意識のうちに黒い彼が白い彼に発言権を奪われ、当然のように白い彼は話を続ける。

ほら、窓に靄みたいな人影が浮かんだり、階段の数が増えたり、家具が勝手に動いたり、作った料理が少し減っていたり、どことなく他人の気配がしたりする物件ですよ。

徐々に声の弾むしろに、はちは日誌を書き付けるペンを止め、椅子の背もたれに寄りかかった。

客人は「だいたいそんな感じで」と頷き、事情を語る。

住居は築60年の共同住宅で、風呂もトイレもない。台所は共用。小雨でも雨漏りするし、玄関の鍵も壊れて半開き状態。住民の誰もが幽霊を見たと気味悪がってる。「そもそも雰囲気が不気味だ」と、周辺の住民の間でも噂されてる。

でも、住んでいる。

「だって、家賃が死ぬほど安いんだ。」

「・・・死にはしないと思うっスけど。」

「だけど、最近は妙なことも起こらなくなって。」

「幽霊さん、引っ越してしまったんですかね?」

このままでは家賃が上がってしまう!そうなったら、住むところを失ってしまうかもしれない!
と、堂長席の前で頭を抱え、うずくまった。

「・・・だからと言って、いきなりは上がらねぇと思うんスけど」

間借人の内、誰がそんな不確かな要因で家賃の値上がりを了承するだろう。はちは、自らの常識で非常識的不安要素をあしらう。

しかし、

「もう発表されているんだ。」

常識の刃は、あっさりと折られた。

「・・・家賃が上がる、と?」

眉を動かすはちに、客人は立ち上がり、一枚のコピーを広げ、指さした。そこには端的に、こう書かれている。

”消失した模様より、家賃を正規の値に戻します。不都合・苦情等あれば、契約期間内でも立ち退き応相談。証拠があれば別途処置。――大家”

「楽しそうなアパートですね。」

「・・・愉快なのは、大家の頭の中だろ。」

だから、私たちは考えた。客は言う。住人たちで集まり、知恵を出し合った。でも、いい方法が思いつかず、煮詰まって、それで、ここにきたってわけだ。

「なにか、なにか、証拠があればいいんだ」

眉を八の字に下げ、苦悶の表情で呻く。その様を見ていたしろが、一瞬はっと息をのみ、瞬後、キラリと目を輝かせた。

「幽霊さんの写真なんてどうですか?」

「心霊写真?」

「確実にいるってことが、しかも住んでいるってことがわかればいいんですよね!写真は動かぬ証拠になるはずです!」

「それだ!」

彼の発想で、意気投合し始める両者である。
はちはそのやりとりを見て、

「・・・バカバカしい。」

自然にこみ上げる感情を言葉にしてこぼした。

途端、堂長席が力まかせに打ちつけられ、木製の机が軋んだ。

「これは、死活問題なんだ!」

追い出されるかもしれない。そう考えるだけで・・・
打ちつけた客人の顔は真っ青で、唇がわなわな震えている。力強い語気とは真逆の、頼りない様である。

そんなことを考える暇があれば、安い家賃の下宿先を探すなり、アルバイトでもして収入を増やすことでも考えればいいじゃねぇか。

はちは思うが、口には出さない。

ならば、どうしたらそれを撮ることができようかと、頭を悩ませ始める両者である。そこに

「・・・合成すればいいじゃねぇんスか。」

「それだ!」

迂闊にも思いつきを口にしたはちは、予想外の反応の良さにたじろいだ。手際よく、ビジネス鞄からPCを取り出す客に「準備がいいですね」としろが口角を上げれば、「だって、今、仕事中だからね、手放せない必須アイテムさ」と胸を張った答えが返った。

数分後。
「できそうですか?」運んできた湯呑みを置いたしろは尋ねる。「・・・なんでオレが」堂長席には全くもって不釣り合いな最新機器が置かれ、光をこぼしている。

マウスを走らせ、キーボードを叩き、ソフトを起動する。そして、アパートとそれらしき影との合成写真を作る。

・・・言ってしまえば、それだけなのだが。

「使えないですね。」

「・・・どっちのことだ。」

客が説明用にと持参したアパートの写真を、複数枚PCに取り込み、更に数十分後。合成写真は、いつまで経っても完成しない。そういえば黒蝶堂に、電化製品を新調した記憶は、はちにはない。携帯電話はもちろん、PCだって存在しない。まともに触るのも、初めてである。精密機械の前で固まり、こんなことをしている自分が情けなく、ひどく惨めに感じてくる。やはり、まともに取り合う事柄ではないと思った彼が、依頼を断るべく「あの・・・」と切り出す。
すると、

「頼みます、報酬は弾むから!」

アパートの住人みんなにも協力を頼むから、と、客人はモニターの裏側で両手を合わせて頭を下げた。

「・・・やらせていただきます。」

はちに、断る理由はなかった。
しっかりしたものを作るには時間がかかると説明し、PCを一時預かることにした。無くても仕事に支障はないかと問えば、「仕事はPCがするんじゃなくて、人間がするものだから、無くても支障なんてない」との答えが跳ね返ってきた。

「・・・そもそも、なんでうちに来たんスか?」

続く質問にも、客人は、快活に答える。

「職場の先輩に、ここならなんとかしてくれるだろうって」

そういうのが専門らしいって、秘密裡に教えてくれたんだ。最初、興味がなさそうだったのも、私が本気で言ってるのかどうかを見極めるためだって、すぐにわかった。時間はかかったけど、合格できてよかった。
客の顔色は、いくらか生気を取り戻したようであった。

扉を開き、去りゆく後ろ姿を見送る。はちは、黒蝶堂に対する世間の誤解をどう解くべきか考える。ぐるぐると考えながら、思考の海に潜ろうとしたところ、

「専門家が居るじゃないですか。」

白い青年の言葉に潜水を遮られ、背を押されて店を出た。



「堂長の頼みとあったら、断れないんだぞ。」

「いや、オレが必要としているわけじゃねぇ。」

「ビビリを治す第一歩を踏み出すつもりになったか。」

「違うっつってんだろうが!」

語気を荒らげ、少女に詰め寄るはちは、すぐにため息をついて「・・・なんとかならねぇか?」とトーンを落とした。

はちは深見ヶ原墓地にやってきていた。心の中はまさに”しぶしぶ”で一杯である。心霊写真などという不確かで不明瞭なものの存在を、彼はまったく信じていない。そもそも、霊など存在するはずがないのだから、写真に写るはずもない、単なる錯覚だと鼻で笑っていたのである。だが、同居人は「牡丹ちゃんなら、撮るコツを知っているはずです!」と話し、少女ゆりは黙りこくったまま、はちの前にカメラを棚の上から落下させてきた。結局、カメラ片手に一人で墓地に赴き、ツインテールの少女・牡丹が、広場の木の下で涼んでいたのを捕まえたところである。
袴姿の牡丹は、一通りの話を聞き、

「はっきり映っていればいいんだな?」

手渡されたカメラを構え、ここを押すのか?と小首を傾げる。

「あぁ、それらしい感じでいいみたいだ。」

あと、押すのはそのレンズじゃなくて、てっぺんの”ボタン”だ、と、少女の指を正しい位置に直す。シャッター音が響く。下部付近から、写真が即座に印刷されて地に落ちた。はちが拾い上げ、眺めると、自分の顔のアップが斜めに写っていた。ずれているめがねを正しい位置に戻す。
「・・・ややこしいんだぞ」牡丹は唇をとがらせる。操作も、名前も。あれこれ触りつくし、またシャッターを切った彼女がカメラを置き、数歩離れて、背負う卒塔婆を構えた。「ぐぬぬ」と呻く彼女に「壊すなよ?」と冷や汗を流すはちが助言をした。



そして、約束の日が来た。

「できたぞ!」と、カメラと写真を手に、勢い勇んで黒蝶堂の扉を叩いた牡丹をしろが出迎えた。彼らは、彼女を囲み写真を確認した。

「写ってますね、さすがです!」

しろが歓声をあげる。そうだろうと彼女が指し示す先、”彼か彼女”は、はっきりと写っていた。髪の長い、目の落ちくぼんだ、顔色も衣服も白い子どもだ。自らの完成品に、

「丁度、途(みち)に迷っている奴がいたんだぞ。」

少女は誇らしげにのたまう。はちは、彼女の作品を見、

「てめぇも写ってんじゃねぇか!」

叫ばずにはいられなかった。
影の薄い彼か彼女に肩を組み、ピースをしているのは目の前の少女・牡丹その者である。背景に、例のアパートの看板と全景がある。

「観光写真じゃねぇんだよ!」

再度突っ込まざるを得ないはちである。その目で、時計を見やる。予定時間まで、あと30分ばかりである。

はちがその事実を認識したとき、ふと、牡丹の目が鋭さを帯びた。背中の卒塔婆に指をかけ、

「祓いが必要だぞ」

と、薄青に光る目で堂長席に置かれた沈黙するPCをまっすぐに見据えた。

「ゆりは居ないのか?」戸惑う堂長を横目に、牡丹が問えば、

「貴方の渾身の一枚を見たかっただけよ。」

棚の上から、冷たい声が落ちてきた。彼女が指を振る。黒蝶堂内の戸が閉め切られ、自動的に引かれたカーテンが射し込んでくる光をシャットアウトした。突如として訪れた暗がりに浮かぶ、牡丹の周囲を飛ぶ青白い人魂と、それに照らされた4つの人影の視線が、PCに注がれた。

その時、PCの真っ黒い画面が青い光を勢いよく放出した。

はちは鼓動が早くなるのを痛いほどに感じた。
「・・・うそだろ」と、頬を痙攣させる。というのも、彼の目の前、真っ暗な画面から二本の腕がにゅっと突き出、空気の束を掴むかのごとく、宙をもがいているのだ。その手はぐいぐいと伸び、冷たい感触が首を覆った。ゆっくりと、ほっそりとした指が首の肉に食い込んでくる。「どこぞのB級映画か!」その言葉は、喉の奥でねじ伏せられる。
ゆりは言う。

「その体勢で居て頂戴。」

首が絞められれば苦しいに決まっている。が、はちは文句も吐けず、いつの間にか床に倒されていた。右手で、タップを繰り返す。しろが、「そのままですよ、もう少しもう少しです」と白旗を振っている。はちの中で「白旗は、降参の合図だな・・・」と遠のく意識が告げる。PCから三本目の腕が現れ、右腕に触れた瞬間、爪を鋭く突き立ててきた。されるがままに引き寄せられたはちの、手首から下が画面に取り入れられた。

「私の憑場で、勝手なことをしないで頂戴。」

牡丹の周囲を飛ぶ、青白い人魂が、ゆりの赤い瞳を照らす。すぐさま、ゆりの手元、広げた書物から、真っ黒い蝶が無数に吹き出し、PCに飛び込んでいった。数秒後、それらの影が、人影を押し出すように飛び出た。白い着物の”彼か彼女”は、床に放り出され横倒しになった。近くにいた牡丹に上体を起こされる。彼女が「途をまた間違えたのか?」と、強く問いかける。
放りされた子どもは、寒気から自らを守るように、わなわなと震える体を抱え、

――家に帰りたい。

か細く息を吐くようにささやいた。

「この子の道を案内して頂戴。」

手を繋いで、ね。問題は解決するわ。

突如、かすかに表情の和らいだ彼女に後光が射した。ほぼ同時に、例の客が、扉を開けて駆け込んできた。

「真っ暗だから、心霊にやられたのかと!」

「もう少しだったんですよ!」

憮然として答えるのはしろである。少女らの姿は消えている。倒れているはちは、ゆっくりと起き上がり後頭部をさすった。隣で泣きじゃくる”白い子ども”が、上着の裾を引っぱっている。客人はその存在に気づくこともなく、期待に満ちた瞳で言う。「間に合ってよかった・・・ところで、写真は完成しましたか・・・あ!」机の上の写真を手に、客人は目を見張った。「これは・・・どうみても本物だ」みるみる色を失う客人に、「それで事足りるっスか?」と尋ね、同意を得た堂長は続ける。

「・・・一度、アパートにお邪魔してもいいっスか?」

「本物を探し出してくれるのか!」

隣で裾を引く子どもを見下ろしつつ、はちは苦笑する。

「路頭に迷うかもしれねぇ住人を、ミチに迷ってるやつが救う・・・ってか。」

バカバカしい。またも詰め寄られると面倒なことになると感じたはちは、自分の感慨に蓋をし、「・・・まぁ、そんなとこっス」と、話を合わせた。



姿が見えなくなったのは、あの機械に取り憑いたから。

客人とともにアパートへ同行したはちが堂に戻ると、ゆりは書棚の上から、しろと牡丹に語りかけていたところだった。

「世界への扉が目の前に開けているから、好奇心の赴くままに覗いた。既に無い足を掬われるとも知らずに。」

「まさか、あいつがあの家のやつとは思わなかったんだぞ。」

どおりで、あの家の周りをうろうろしていたわけだ、と、牡丹はポンと手のひらを叩く。「家に入れないから、泣いていたのか」「家の前で閉め出されちゃったら、途方に暮れちゃいますね」と、しろが相づちを打つ。

「・・・まったく、つかれたってんだ。」

「また、”憑かれ”ちゃったんですか?」

「”疲れた”って言ってんだろ。」

はちは、彼らに報告する。
裾を握っていた白い子どもはアパートの敷地にはちが踏み込むなり、ぱっと手を離して駆けだした。アパートは客の言うとおりの老朽化の進んだ建物であった。客人に続いて室内に踏み入れたのは、はちではなく白い子どもであった。子どもは軋むはずの床板の上を音もなく走り回り、玄関で客と立ち話をするはちに、柱の脇から顔を見せた。軽く手を挙げて返事がわりにすると、子どもは子どもらしく、朗らかに笑って姿を消した。

家賃が現状維持になったと、黒蝶堂に礼状と報酬が届いたのは、それからすぐのことであった。同封されていたのは、アパートを背景にした住人たちの集合写真である。感謝の意と、「住人一同」とが書かれた写真には、客人の背後でぼんやりとはにかむ、白い子どもの姿が写っていた。


【了】

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

説明

秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

メニュー
twitter
    更新情報配信中