【小話】四方八方明度の忠告【更新】

「たくさん蕾が膨らんだなーと思ったら、春だったんですよ。日差しが強まったら夏が来たなって思いますし、紅葉に色が付いたら秋ですし、木枯らしが吹いたら冬です。僕思ったんですけど、四季って、ざっくり区分の四つでいいんですかね?そろそろ、もっと細分化したのを定着させてもいいかなって思うんです。細切れにした方が、奥歯でゆっくりと味わえますからね。」

「・・・そうだな。」

「そういえば、そろそろ冷蔵庫が寂しいですから、買い物に出かけようと思ってて。でも今月はいつもよりずっと、厳しい財政状況ですね。色々ありましたから。実は、僕、ずっと前からキャベツ貯金に挑戦したいと思ってるんですけど、肝心のキャベツがないんですよね。そこに納めるお金もないですから、まずはキャベツを手に入れて、枯らさない薬を巻いて、庫内温度を最適に保ちつつ、お金が工面できるのを待ってもらうしかないかなと思うんです。」

「・・・そうだな。」

「そうそう、お金の話で思い出しましたけれど、これだけの本があれば、どこかに、埋蔵金の在処の書かれた本が眠っているかもしれません。どことなく、ロマンを感じますよね。ところで埋蔵金って、お金そのものを地面に埋めるんですかね?もしも今の紙幣を埋めたら、分解されて土に還ってしまったり、水に浸食されてよれよれになったりするのかもしれません。掘り起こしたときに小判なら感激しますけど、力ない諭吉さんが涙を流しているところだったら、もらい泣きしてしまうかも知れないです。」

「・・・そうだな。」

黒蝶堂の穏やかな昼下がり、堂長である黒川はちは帳簿を睨んでいる。同居人の語りは、右から左の傍線状態で、TV番組の間に流れるCMよりも耳に留めていなかった。彼が幾度目かの相づちを打ったとたん、ボーリングの球をレーンに投げ込んだときのような、重量感のある低音が響いた。しばし続いた沈黙を不審に感じたはちは、重たい腰をあげる。いやな予感しかしなかった。

台所を覗く。すると、同居人は仰向けで倒れていた。手足を一つも動かさず、蒼い瞳だけをはちへと向ける。「酸素が足りなくなっちゃいました」と力なく笑う彼に、「・・・ペース配分が、なってねぇんだよ」と、忠告を与えた。

「ただ僕は、はちにも知ってもらいたいんですよ。」

「・・・それは違うな。お前は、自分が喋りたいだけだ。」

「ばれましたか。」

余裕を持たせて悪戯めかすしろに、はちはため息を吐く。
浅い呼吸を繰り返す彼の脇に居座り、一つの提案をしてみる。

「・・・ここに、人形を置いておくか。」

頷くだけの簡単な作りの奴だが、人形ってことを見抜けるかテストしてみてもいいかもしれないな。ただ相づちがほしいだけなのなら、かかしだって事足りるはずだと肩をすくめる。

「さすがに気が付きますよ!」

憤慨するしろが、拳を突き上げた。間一髪で避け、眼鏡の位置を調整する。

「・・・どうだろうな?」

鼻から息を吐けば、

「そこまで言うのなら、ぼくはその子とタッグをくんで、世界を征服して見せましょう。」

苦しそうに空気を求める口とは裏腹に、しろの目はキラキラと輝いていた。
まるで、目だけに生気が集まっているかのごとくだ。

「・・・それは、やめとけ。」

「ほら、そうなんですよ。」

指示語飛び交う会話劇を惰性的に繰り広げた共謀者は胸を張る。

「はち、自分の命が惜しかったら、僕の話は聞いておいた方がよいですよ。」

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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】ももいろだまり【更新】

「梅や桜も、涙を流すんですかね?」

「・・・植物に、んな機能はねぇよ。」

窓の外を眺める彼の目を、縫い針のような細い雨が通過していく。

「どことなく切ない気持ちになるって言うじゃないですか。」

「・・・そんなのは、見てる奴の勝手な感慨の押しつけだろ?」

涙を流す樹木なんざ、聞いたことねえよと、堂長席で帳簿をめくる。

ほら、百聞は一見にしかずって言いますよねと、しろに腕を引かれ、しぶしぶ立ち上がる。
窓辺に寄れば、そこより見える木々の花びらに、雫が打ち付けては地上に落ちていた。
視線を下に落とすと、根本に雨滴が溜まっているのが確認できた。その違和感に、脳内で納得のいく説明を弾き出す。

「・・・お前が絵の具でも混ぜたんだな。」

手の込んだ悪戯をしやがってと、額を掻くと、

「そんな野暮なことはしませんって。」

雨が上がったら、新しい景色ですねと、しろは笑った。

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【小話】白黒の価値【更新】

黒蝶堂の書物には、値札がついていない。

理由は複数あるのだが、その一つとしては、値札のシールを作成する財源がないということだ。加えて、扱う商品の大多数が古本であるから、仮にシールを貼ったとしたら、ただでさえ傷んでいる品物がますます質を落とす可能性がある。直接カバー裏やら背表紙やらに価格を書き付けるのは、なおさら御法度である。

祖父の伊織が堂長であった数年前までも、彼の記憶には、値札を見たという過去はない。

商品の価値が外見にあるとは、はちは思ってはいない。
しかし、「それでもな・・・」と、彼は堂長席に積み上がった文庫本を手に取った。

ーー本に、どれだけの真実があるのか?

ふとよぎった疑問を片手に、ページをめくる。

文学作品の中でも、著名な棚に並べられる連作短編集だ。
カバーはとうに無くなっており、色あせた表紙にはそっけないタイトルが書き付けられているのみだ。掌に顎を乗せ肘を突き、反対側の手でめくると、知識として知っているあらすじが、多大な文字数を浪費しつつ流れ始める。

彼は、深いため息を吐く。

内容も著者名も、作り物である。偽名による、妄想の固まりである。文字にインクが落とされているだけだというのに、発表されてから今世紀に至るまで、読者となった人間たちの心を揺さぶり、時に世間を揺るがせた、罪深い内容らしい。

彼自身は、いわゆる文学作品を好んで読むことはあまりない。文学作品はもとより、堂長席を取り囲む書棚の内、結構な割合を占める”小説”に対し、興味を覚えるという経験に乏しかった。

「・・・どうせ全部嘘なんだしよ。」

と、言葉にすることもあった。

ここ最近、お偉方が決定した制度の改革が世間にも認知されはじめ、「必要物資は急いで買うべきかもしれない」という風潮が広がっている。真に受けた同居人が「困りましたね!」と騒いでいたことは記憶に新しい。

だが、堂長は予測している。
黒蝶堂には大した影響はないだろう、と。

ただでさえ少ない客人が書物を買うかどうかは、もちろん価格の面での妥協点はあるだろうが、それだけが購買欲に直結するというわけではない。書物とは、ただ日々の生活で消費される物品とは異なる。だから、定価はそのまま、付属の価格が上昇しようと下落しようと、黒蝶堂の売り上げは増収も減収もしない。書物の価値が増価するか減価するかは、価格によるものではなく、読者の思考の変動次第であるからだ。

「・・・って考えてると、むなしくなってくるな。」

来堂する客人の減少は、自分たちがどうあがいても避けることの出来ない、訪れうる近未来である。だが、大きな力による変革を前に、自分たちができることなぞ限られており、所詮は無駄なあがきである。そして黒蝶堂は、客の少ないことが通常運転である。少ない客は、妙な思考回路の者が多く、彼らは、価格だけに価値を求める者ではない。

だからこそ、黒蝶堂には大した影響はない・・・はずだ。

生活水準は厳しいが、価格自体は「大きな力」の影響を受けさせない予定だ。ないはずの値札には、当然反映されない。そもそも、最初から「その分」が含まれていたのか、先代の頃から明らかにはなっていない。だからこそ、焦燥感はまったく無かった。

「・・・だとすれば。」

価格の根拠はどこにあるのか?つまり、

ーー本に、どれだけの価値があるのか?

彼はふとよぎった疑問を片手に、書物を置いた。
その理由はおそらく、書物の中にはない。

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【小話】本の虫へ紫の差入れ【更新】

冬の寒さが少しだけ和らいだ昼時、布団を干すというミッションを終えた氷山しろが達成感とともに黒蝶堂に戻ったとき、彼は堂内に他者の気配を嗅ぎ取った。「お客さんとは珍しいですね」と、奥間より碧い目を光らせる。堂長席の黒川はちは、机に突っ伏したまま眠りに落ちており細い寝息を立てている。彼を叱咤する少女の姿もない。いつもは棚の上で読書を楽しんでいる彼女の不在が、堂長の安眠を支えている。黒蝶堂のガラス戸から、表通りを歩く者たちの足が右に左に流れていくのが見えた。堂長席の脇に摺り足で歩を進め、棚にこそこそと寄り、スパイのような気分で、棚の陰より来客者を捕捉する。自分たちより少し年上くらいだろうか、細身のパンツとこけた頬が印象的な人物だ。

客人は、挙動不審という言葉がぴったりの所作で、「自らを映す他人の目」という鏡の在処を探っている。しばらくの間、足音をたてずに棚と棚の間にできた通路を巡っていたが、ふと、堂の隅、ある書棚の前で足を止めた。節ばった指を伸ばし、前方の書物を抜き取る。パラパラと建築関係のタイトルが書かれているそれをめくっていたが、その指を止め、そろそろと1枚のページを破り始めた。堂長は目覚めない。最後までちぎり取り、再度書物を棚に戻すと、客はそれを、躊躇無く口に運んだ。

「お腹が空いてるんですか?」

碧い瞳に、客の全神経が集中した。ちぎられた残りの部分を背中にまわすが、注がれる熱視線に、やがて観念して、諸手を上げた。

「おいしそうだったから、つい。」

「でしたら、これはどうですか?」

しろは上着のポケットから、電灯の光に照らされた鮮やかな色を取り出した。

「味が変わって、また新鮮な気持ちになれますよ。」

瓶に入った赤にオレンジ、そして紫は、彼特製のジャムである。まさかの提案に、視神経を色に注いだ客はひるみ、言葉を漏らす。

「君は、変わってるね。」

「そうですか?」

「自覚がない?」

「・・・なにを騒いでるんだ?」

疑問符飛び交う空間で、彼らの背後に立った堂長が、目を丸くした。
その腕が、白い頭を捉え、自らに向かせる。目には静かな怒りが浮かんでいる。

「うちはいつから、人様にごちそうできるくらい裕福な生活水準になったんだ?」

「おいしいものを食べたいという欲求は、世界全国全民共通だと思うんですよ!」

「まさか、はちも食べたいんですか?」と笑顔で問うてくるしろに、「んなわけねぇだろ!論点をずらすな!」と、彼の体を前後に揺すった。

「訂正しようかな。」

やりあう黒蝶堂を前に、客はくすりと笑う。

「君たちは、変わってるね。本当に。」

「てめぇに言われたくねぇよ!」

客が相手だというのに、堂長は口が滑ったことにも気が付いていない。
しかし、インクを口元に付けている客と、犯行を幇助したといってもいい自分の同居人のどちらも、悪びれる様子はない。彼らを前に、はちの怒りは矛先を失い、日々しぼんでいく風船のように、ゆっくりと消えていった。そして、諦観のため息を一つしたところ、黒蝶堂の表戸が開かれた。

「見つけた!」

現れた第二の客は、つかつかと寄ってきて、第一の客の首根を掴んだ。その頭を力ずくで押さえ込み、「申し訳ありません!」と、自らも深々と頭を下げた。

「・・・えっと。その。」

「弁償させてください!」

どうやら第二の客は、第一の客の保護者のようであるらしい。「お金は、ありますから!」と財布を献上してくるような体勢の客に、「・・・いいっスよ。食べちまったもんは、仕方がねぇし。」と、完全に怒りが抜け落ちた堂長は続けた。
呆気にとられ、急展開に、頭がついていかなかったのも理由の一つだ。そしてもう一つの理由が、

「厄介な症状なんです。」

「・・・大変っスね。」

第二の客の振る舞いが、どことなく自分を連想させるものであったからだ。
面倒だが、話を聞く必要があるようだなと、再度、ため息を吐いた。

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【小話】きみどりの正体【更新】

「変化に適応しなければ、進歩はないわ。」

「・・・んなこと言われても。」

はちは、箸を惑わせる。先日、鹿々苑百貨店の使者が提案してきた総菜の試作品が完成したというので、その蓋を開けてみた。包装紙はなく、プラスチックの箱の側面に「焼き肉」とマジックの走り書きがあるだけだ。

「・・・こんな高級な総菜なんざ、逆に買わねえだろ。」



西日のまぶしいその日の夕方、彼らは鹿々苑百貨店に足を向けた。

「ここには、欲にまみれた人間しか来ないのに。」

柱の陰に隠れた掃除スタッフは、モップの柄を強く握った。すると、掃除用具は姿を変え、シャープなラインの美しいベースとなった。作業着のまま、彼女は弦を鳴らす。

「なのに、おかしい気配がして、見に来たら君たちがいた。」

やっぱり変なんだね、黒蝶堂って。
揺らぐ声は、八の字に眉を下げ、今にも泣きそうな表情から発せられた。

「・・・小綺麗には、めかしてくるだろ。デパートなんだからよ。」

店内の天井より吊された案内板が、水玉模様に汚染され、落下してきた少し前のこと。出立前の事前のゆりの指示通り、三歩下がったはちは事なきを得ていた。欠片の角が頭に当たっていたとしたら・・・考えるだけで、彼は身をすくめる。
少女は言う。

「皆、汚れてる。掃除して跡形もなく消したいくらい。」

「・・・どっちでもいいけどよ、これを返しに来たんだ。」

ため息を吐くはちは、洗浄した空の容器を示してみせる。アンケートと共に、紙袋に入れて持参していた。

「・・・あんなんは買わねえだろ、特に若者なんざ。」

質より量という言葉があるんだよなと、内心で補足を入れた。
すると、背の低い掃除スタッフは、曲のキーを半音上げた。

「だってアレ、本当のお肉じゃないもん。テストだから。」

はちは硬直し、彼女の言葉を反芻する。
追い討ちをかけるのは、決まって隣人だと彼を振り返れば、

「確かに、”牛肉”とは書いてなかったですね。」

今まで食べてきた食材の中にも、同じ物は無かったですねと、しろは顎に人差し指をやった。

「・・・一応聞くが、ちゃんとした食用の肉なんだろうな?」

「ピンからキリって言葉が、百貨店にはあるんだよ。」

少女は震える声音で呟くと、ベースをモップに再変化させ、ちょうど開いたエレベータに乗り込んだ。

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【小話】きいろの逃亡劇【更新】

仮に、その腕をすぐに掴んでいたとしたら、こんなことにはならなかったはずだ。
息が上がる。地を蹴り、桜色の霞の中を往く。先往く白い頭に、黄色の花弁がよく映えていた。



「イエローカーペットですよ!」

「ちょっと待て!危ねぇだろ!」

止めることが出来ず、彼は転がっていった。

配達帰り、駅前で論戦したのが数分前のこと。少しでも節約し、新作の料理器具を試したいというしろの主張に対し、日々の疲労感が拭えないから、なけなしの金をはたいてでも電車に乗り、早く帰りたいという自分の主張を戦わせた。

今は、折衷案を実施している。

線路沿いを、歩いて帰る、という案だ。

何と何の折衷になったのか、白熱した議論を重ね終えた時には、とっくに忘れていた。

しばらくは、おとなしく帰っていたはずなのだ。
が、ある地点にさしかかったとき、隣人は突然走り出した。
呼び掛けるも彼は加速し続け、そして唐突に、消失した。慌てて駆け寄って行くと、彼は背の高い草原に背をつけ、埋もれていた。彼の周囲を無数の菜の花が覆い、昨夜の雨の粒を光らせていた。

「寝転がったら、普通の景色も変わって見えますね。」

「・・・お前が変わった奴ってのは、十分知ってるよ。」

「だから、はちも転がってみましょうよ!」

「・・・オレには、ここからの景色で重畳だ。」

「駄目で元々とも言いますから、ほらほら!」

腕を取られ、バランスを崩され、強引に寝転がらされた。黄色い世界が広がって、どこからか到来した桜の花弁が風に煽られ、宙で舞っては遠くへ流れていく。前髪がそよぎ、眼鏡のレンズに掛かったのが邪魔だと感じて、指で押しのける。彼と同様、半ば花に埋もれる格好になった。耳に触れる葉がくすぐったい。ビルも電線も電波塔も飛行機もない、細い白線を薄水色に溶かしたような空だけが視界一杯に広がって、気が付くと、

「・・・確かに、悪くはないな」

と、発していた。



がたがたと上下に揺らされる感覚に、はっと目を開けた。1メートル程離れたレールが軋んでいる。
柵の向こう側から、緑色の制服が叫び、そのうちの1人が、こちらへ向かってきているのが見える。

状況を把握し、背中を冷や汗が伝った。

「立ち入り禁止ですよ!」

追い討ちをかけるような激しい怒号に、耳が痛んだ。

そりゃそうだ。だって、これほど近くを電車が通るのだから、注意して当然だ。

隣人は、笑みを浮かべ、こちらを向いた。

「ふふふ、どうしますか?」

「・・・どうもこうもねぇだろ。」

誰のせいでこうなったんだってのと、小さな憤りを感じる。

だが、ここで制服に捕まり、空気の淀んだ駅長室やらに連れて行かれ、こっぴどく説教を受けるのも、この景色に失礼な気がする。

「・・・春に中てられたのかもな。」

自らの論理の破綻っぷりに苦笑しつつも、それはきっと彼と、春のせいだと思うことにした。しろは十中八九、自分が投降すると予想しているだろう。たまには、裏切ってみるのも悪くない、かもしれない。

「・・・逃げるぞ、全速力で。」

「了解ですよ、光の速さで!」

疲れていたことも忘れ、追っ手がいるとわかりながらも、ぬかるむ土の上を駆けだした。

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【小話】赤い音楽【更新】

彼女は、朝寝をしていた。呼びかけられ、広場の大樹の陰から身を起こす。破れ提灯を片手に持つ彼は、彼女へ嘆願する。迷い犬のように徘徊していた不審者を捕まえたのだ、と。

「”かせっとでっき”なるものを探しているというのです。」

でも見当が付かない上、心当たりもないと、彼は不審者を縛る縄を強く握った。不審者は抵抗するそぶりすら見せず、自由を奪われ続けている。彼女は、ブーツの踵を鳴らして立ち上がる。

「それなら、お前の憑場にありそうなんだぞ。」

深見ヶ原墓地に隣接する朝咲寺に、彼女は到達した。縄を引く彼・獅子之丞と、引かれる不審者と共に、境内地へ足を踏み入れる。砂利が敷き詰められた敷地は広大で、その奥には更に砂地が続き、荘厳な寺院が、これまた見る者の息を詰まらせるほどの迫力で建立されている。

そこにぽつんと一人、袈裟を着た男がいた。

「おはようございます、牡丹様。」

「おはようだぞ、紫陽。」

修行僧は落ち葉を集める手を止め、腰を深々と折った。「今日はどうされましたか?」尋ねる声音は、無感動ながら、柔らかさを含んでいる。折り目正しい態度に、彼女の背後の青年は「真面目だなぁ」と詠嘆する。
彼女は探し物の在処を彼に問う。

紫陽は、驚嘆も無く答える。

「それなら、獅子之丞の個室にございます。」

顔色一つ変えることもない。

「え?」

顔色が変わったのは、獅子之丞の方であった。牡丹の眉が、ぴくりと上がる。睨まれた獅子之丞の眉が、余計に下がった。

「わかった。勤めの邪魔をして悪かったんだぞ。」

「いえ。お疲れさまです。」

紫陽は再び頭を深く下げると、元の仕事に戻っていった。



「・・・経を上げるのに、使ったんじゃねぇのか?」

「片づけ忘れちゃって、どこかに放置したままかもですね。」

日がようやく昇り、これから大気が暖まろうかとする時間帯に、黒蝶堂の扉は叩かれた。彼女から事情を聞かされた堂長は、重たい瞼をようやく開いた。視界に映るは、ツインテールの少女と彼女の散歩仲間らしい、元気のない青年、そして彼にロープで繋がれている人間の3名だ。堂長には、アーケードを挟んで反対側に位置する弁当屋が、不審者の体を通して、うっすらと確認できた。もしかして透けてるのかと思いそうになった堂長は「寝ぼけてるからな、オレは」と頬を叩き、視線を牡丹に戻した。

「・・・うちには、レコードしかねぇよ。」

前探したんだが、見つかんなかったんだよと、肩をすくめてみせる。「カセットは再生できないのか?」との疑問に肯定を与えれば、彼女は低く唸った。

「これを使ったらどうですか?」

そう言ったしろが取り出したのは、B5程の大きさの、分厚いポータブルカセット再生機であった。隅にはヘッドホンジャックがあり、相応のヘッドホンが本棚の横に下げられている。「・・・こんなもんがあったのか」と、まじまじとそれを見つめていたはちは疑問を呈す。

「・・・これは動くのか?」

見たところ、結構な年代物のようで、塗装が剥げている箇所もある。ヘッドホンを繋ぎ、片方を耳に当て、カセットを入れ込み再生ボタンを押す。案の定、機械はうんともすんとも言わなかった。

それに反して、突然動き出したものがある。

「貸して!」

獅子之丞に繋がれた不審者が、縄を引きちぎり、ヘッドホンを装着した。そして彼がスイッチに触れた瞬間、カセット中央の二つの穴は、きりきりと音を立てて回転し始めた。

きりきりと痛みを訴えだしたのは、機械だけではなかった。

頭痛がひどくなったはちは、目の前の現象を処理できないでいた。

もとより薄いと感じていた不審者が、時間の経過とともに、腰の曲がった老人に変化していった。

「・・・嘘だろ、ありえねぇっての。」

曲が終わったのか、派手な音を立て再生ボタンが弾き戻された。老人となった客人は、一筋の涙を流す。

「ずっと聞きたかったんだ。」

そう言うと、巻き戻しのスイッチを押し、再び耳を楽しませ始めた。カセットは、悲鳴のような摩擦音を立てて回る。しばらくすると、勇気を注入でもされたのか、客は突然、力強い足取りで一人、黒蝶堂を出て行った。

「追いかけるんだぞ!」

牡丹は、呆然と立ち尽くしていた獅子之丞に指示を出す。
我に返った彼は、犬のように駆けていった。その後ろを追いかける牡丹の足音が、堂内に反射した。

静かになった黒蝶堂にて、

「・・・もう一眠りする。」

はちは断言する。すると、

「そうはいかないわ。」

棚の上から声が降り注いできた。

「朝咲寺に行って、でっきとやらを探し出して頂戴。」

「ついでに僕の機械も、取り戻してきてくださいね!」

「お前らな・・・」

はちはそれぞれの言い分に、はぁとため息を吐く。
朝から憂鬱なことだなと、他人事のように呟いた。

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【小話】きなこの証言【更新】

しろの背後から体を乗り出す。いそいそと開き、黙々と読み進めている目は鋭い。余程の内容が論述されているのかと少しだけ興味を覚えたら、それは、雑誌の占いの隣に設けられた、懸賞の欄であった。

「・・・クロスワード?」

「難しいんですよ!」

設問を広告チラシの裏に書き写し、ペンを指先で器用に回しつつ唸っている。クロスワードの答えを導き、その順番に隣の不規則に並ぶ丸を塗りつぶして繋いだ結果、浮き上がってきたイラストの正体を見極めろ、という二重の問いになっている。

「・・・簡単だろ、こんなもん。」

しろの手からペンを奪い、丸を乱雑に繋いでいく。案の定、「ちょっと待ってください!」と、横のクロスワードに苦戦していたしろが騒ぎ始めた。

「こっちが解けていないのに、おかしいですよ!」

「・・・丸の配置で、何となく予想は付くだろうが。」

そもそもこれは、子ども向けの雑誌である。薄目で紙面をなぞってみたら、点が脳内で黒と白に区分され、勝手に線で繋がれて絵が見えた、というだけの話だ。説明をしてみたが、やはり、しろの機嫌は直らない。作業をしていた手を強引にねじ曲げられ、筋肉が痛んだ。一応、抗議をしてみる。
しかし、

「たとえばですよ」と、彼は意にも介せず続けた。

「はちの大好物を、きなこが大量にまぶされたコッペパンだとしましょう。」

「・・・別にいいけどよ。たとえ話なら、もう少し高級な食べ物でもいいだろ。」

「大量のきなこですよ!カロリーもお腹も大満足な一品ですから十分ですよ。」

「・・・それで?」

いちいち引っかかっていたら、話が二転三転して終わりすら見えてこない。とりあえず、先を促してみる。

「お昼に食べようと思って大切にお皿に乗せておきます。いざお昼になって確認したら、置いておいたはずの皿からパンがなくなっていた。はちは驚き怒り、そして悲しみます。」

「・・・いや、そこまでは」

「たとえばの、話です。」

ぴしゃりと遮られた。ため息が出る。いつもこうやってペースに巻き込まれていくんだよなと感じつつ、仕方なく、彼の妄言に耳を傾けることにした。

「そのときに、僕が、きなことパンクズにまみれた口元で登場したらどうですか?」

「・・・そりゃ、疑うだろ。」

「なぜですか?」

僕はその日、きなことパンクズの山からキャンディを口で探り当てるゲームに参加して、帰ってきたところかもしれないーーと、仮定にしても強引な論理で、しろは自分を擁護する。

「・・・お前は、何の大会にエントリーしてたんだ?」

「無数の可能性を同時に探る力を披露してました。」

胸を張るしろに、「それはつまり」と言いかかって、口を塞いだ。なんとなくだが、彼の言わんとしていることがわかってしまったような気がしたからだ。反論できなかったところを、びしりと指を突きつけられ畳みかけられる。

「その手段で、真実を見抜くことが出来ますか?」

「・・・名探偵なんざ、現実には、存在しねぇだろ。」

かと言って、すべてが関連していないとも言い切れねぇと思うんだがな。
むしろ、関連してると考えるのが普通じゃねぇのか?と、肩をすくめてみせた。

すると、しろは「お!」と歓喜の声を上げた。どうやら、クロスワードの最後の一つが埋まったらしい。真剣に検討していた自分は何だったのだと、再度の抗議をしたくなる。が、どうせ効果がないのだろうから止めておいた。

「ほら、見てください。」

走らせていたペンを止めた、得意げな様子の彼は、裏紙を見せつけてきた。
そこには、そんなに埋める箇所があったか?と疑いたくなるほど、キメの細かい絵が完成していた。

「ご覧の通り、答えは、猫なんかじゃなくて。」

「・・・助手が間一髪、友人を助けてる図ってか?」

絶対、オレの答えが正しいだろと主張したところで、受け入れられはしないだろう。古い雑誌だから、懸賞の応募期日はとっくにすぎている。十中八九、答えは猫だろうが、その答えを知る術はない。自分もクロスワードから取り組むべきか?応募したところで、景品は最高でテレホンカードなのだから、惜しい気持ちはそれほど強くはないのだが。

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ジャンル : 小説・文学

【小話】春色の齟齬【更新】

ちょうどいいと直感し、手に取った雑誌を堂長席で広げる。「今すぐ始める家庭菜園~早春編~」と銘打たれた箇所を開くと、野菜の種類に応じた土作りから種の選び方、肥料の量や育成上の注意点などが細かく書かれた、なかなか参考になる特集であった。色あせた緑と茶に囲まれた細部にわたる挿し絵が、よりわかりやすくしてくれている。

ただ、気になることがある。一通り読みおおせた後、その正体を探ってみる。

まず漢字と仮名の入り交じり具合に違和感がある。正しいが、正しくない、感覚の齟齬のようなものだ。それに湿気を多く含んだ頁は力を入れたら破れそうで、陽の当たらない場所に長らく放置していた、箪笥の中の匂いがする。主にその二つだ。そのまま、雑誌を裏返してみる。発刊日を確認すると、あぁと、すぐに合点を得た。半世紀ほど前の年月日が印字されていた。

「僕は、こっちがいいですね」

いつのまにか席の前に、洗濯篭を傍らに置き、本を手元で広げるしろが立っていた。「・・・どれだ?」と尋ねてみれば、「今すぐ始める自炊生活~早春編~」と銘打たれた箇所に、彩り豊かな料理の写真とともに、レシピが掲載されていた。材料の欄を検討し、作れそうな物の収穫日と同時に、料理の完成日を予想する。

ーーこの一品には、だいぶ時間が掛かるな。

しろの本は、料理の難易度を優先しているのだろう。発刊日も最近のようだから、初心者向けに厳選された簡易な献立を選別したに違いない。主な野菜の収穫できる、最たる季節にも触れられていない、よくあるパターンだ。

だからなのか、しろは続ける。

「今すぐ試してみたいですから、お願いしますよ!」

「・・・作りたいと、作れるは違うっての。」

肩をすくめてみせれば、不思議そうに首を傾げられた。

「あれ?作りたい物を、作るんですよね?」

「・・・作れると、食べられるは違うっての。」

「食べたい物を作るんじゃないですか?」

傾げられる首の角度が、更に大きくなる。こいつとの付き合いは長いはずなんだがなと、ため息が出る。このようなかみ合わない不毛なやりとりなんざ、思い返したら切りがない。たとえば問答集を作成したとしたら、結構な頁を埋めることになるだろう。もしかしたら、この雑誌の厚さ2冊分くらいは、余裕で突破するかもしれない。

「・・・いや、いらねぇだろ。」

「だから、必要なんですって!」

席に両手を突き、差し迫ってくるしろに再度、ため息を吐く。今のは自分の呟きが紛らわしかったなとは思うが、口には出さない。説明したらしたで、なおさら混乱を招く結果になるだけだろう。それは今までの経験上、明白であった。
雑誌を閉じ、

「・・・八百屋で、材料を買えばいいだろ。」

今度は足下、菜園用の荷を山積みにした篭を引き寄せ、長らく世話になっているスコップを手に取った。ところどころに土がこびりついている。そろそろ磨いて準備しておいた方がいいだろう。
肌で感じる。春はどうやら、すぐそこらしい。

「・・・作ったもんをどう料理するかはお前に任せるけどよ。作るまでは、オレの好きにさせてもらう。」

そう言うと、しろは本を閉じ、棚へと戻した。人差し指を顎に当て、青い瞳を天井付近へ惑わせる。その目が、じっとこちらに向けられた。思わず手を止め、身構える。
細められた目には、いやな予感しか覚えていない。その口が、ゆっくりと動く。

「変なところで、頑固ですよね。」

率直すぎる感想に、拍子抜けした。

こちらも同じく、目を半分ほどに細める。

「・・・お前に変とか、世紀末だな。」

「次の世紀末は、まだまだ先ですよ。」

長生きしないとですね!と、しろは朗らかに笑った。

あぁそうだ。
こいつには、皮肉も通じない。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】橙の魔物【更新】

「噛まれました!」

「・・・は?」

頭上で大騒ぎするしろを、炬燵から見上げると、眼鏡のレンズに、雫がぽたりと落ちてきた。反射的に目をつぶる。ゆっくり瞼を起こせば、視界が、赤の点に侵されていた。上体を起こし、後頭部をかきむしる。机上のティッシュペーパーで赤を拭い、ゴミ箱へ放る。「見せてみろ」と言えば、向かいに座った涙目のしろが、右腕をぬっと突きだしてきた。

手の甲、親指の付け根あたりに、直径2ミリほどの穴が空いている。3センチほど隔てて2箇所あり、赤い血が指先の方へ細い川のように流れている。彼は、炬燵を示し

「そろそろ片づけようとしていた矢先の大事件ですよ!」

指先が白くなるほど、握り拳に力を込めて言った。
新たに浮いてきた粒が、山を作ったところで固まり始める。

「なんで片づけるんだ!オレが今、入ってるだろうが!」

布団の端を握って、彼に主張する。暖かくなってきたとは言え、まだ炬燵は必要であると声高に叫んだ。
が、その途中、急激に体温が奪われていく感覚にさいなまれた。頭の中が整理されていき、わき上がってきた疑問を口にする。

「・・・噛まれた?」

「そうですよ!」

「・・・いつだ?」

「今し方です。」

「・・・一応聞くが、どこでだ?」

「炬燵に手をかけたここで!」

その言葉に大急ぎで、炬燵から足を引きずり出した。ズボンを膝まで捲り上げる。シャツをめくり、首筋を触る。痛みはないし、手に赤も付着しない。どうやら、異常はないようだ。
次いで、炬燵の中を覗く。橙の光以外は、何もない。もしかしたら、死角にムカデやら蚊やらの類の虫がいるのかもしれない。心が焦り、指先が震える。不可解で丈夫な体のしろが刺されて血を流すほどだ。自分が刺されたら、病院送りになるおそれがある。それは、非常にみっともない。じぃと布団の裏側をにらんでみる。が、目当ての影は見あたらない。

「今はまだ、小さいのかもしれません。」

ですが、少しずつ血を吸って、大きくなるんじゃないですか!?

しろは頬を紅潮させ、人差し指を立て、自説を展開して、なぜかはしゃいでいる。

「・・・何の話をしてるんだ、いったい。」

転がしていた半纏を着つつ、彼をなだめる。
すると、しろはずばりと言い切った。

「勿論、炬燵にお住まいの吸血鬼さんのことです。」

「・・・吸血鬼が、本当に実在すると信じてんのか?」

その返答に、ため息を吐かざるを得ない。
すると

「はちの血は美味しくないから狙われないと思いますよ。」 

しろはふふっと笑い、食器を台所へ運ぶために立ち上がった。

「・・・血に、美味いも不味いもあるかよ。」

とりあえず、無駄な電気代を省くべきか。ただでさえ、必要最低限の電力で、冬を越えてきたのだ。コンセントに手を伸ばし、引き抜こうと指に力を入れる。
そのとき、

「まだ片づけないで!後生だから!」

甲高い声が耳元で響き、真白い腕が炬燵の端から生え、手首を掴まれた、気がした。



ゆらりと赤いリボンが揺れる。切りそろえられた前髪から覗く、黒目がちの瞳にじっと見下ろされていた。

頭をずらすと、すっかり片づけられたテーブルが視界に入った。時計を見る。どうやら、眠っていたようだ。眠りに落ちる前、しろと何かを言い争ったような記憶があるが、もやがかかっているかのように不鮮明で思い出せない。

「もう少し、危機感を抱いて頂戴。」

事前通告があったのに、その上で罠に嵌まるなんて。

冷たい声音には、わずかばかりの呆れの温度が含まれている。「何のことだ?」と、ぐらぐらと安定しない頭を支え、時間をさかのぼる。だめだ、思い出せない。唸っていたところ、くしゃみが一つ出た。寒気を覚えた。飛び出たツバとともに、場面がフラッシュバックしたのだ。
タイミング良く、奥間からしろが現れた。

「大丈夫ですか、はち。倒れちゃったから、心配しましたよ。」

「・・・どうやらオレは、夢を見てたみたいだな。」

そう結論づけ、ほっと胸をなで下ろす。冷静になってきたところで、しろから湯飲みを受け取る。その右手に包帯が巻かれているのを見て、再度、意識が朦朧とし始めた。あれは夢だったはずだが。

隣で同じく湯飲みを与えられた少女は、一口飲むと、

「そろそろね。」

そう言うやすぐ、小さな指を空に舞わした。すると、すさまじい風が、後方より台所方面へふきすさび始めた。あまりの激しさに、眼鏡が飛びそうになる。がたがたと家具が揺れ、炬燵の布団が風でめくれあがる。

その瞬間、テーブルの下に横たわる白いふくらはぎを見た、気がした。

テーブルの足を握りしめる指がある。

ーー気のせいではなかったのだ。

地に足を着け、踏ん張る。室内であるのに、これほど風が通るなんざ尋常ではない。家具は揺れるが書類は飛んでいかない。奇妙な現象は、やはり、目の前の少女のせいだろう。止め止めと念じていると、風に煽られ続けていた指が消えた。辺りを見渡せば、手に持った書物を広げ、風下へ移動していたゆりの姿があった。影は彼女へまっすぐ飛んでいき、吸い込まれるようにその頁に納められた。頁は彼女によって閉じられる。
すぐに風は止み、辺りは元の静けさを取り戻した。
彼女は書物を近くの棚に置くと、深呼吸をして髪をかきあげた。

「準備しましたよ!」

棚の横には、いつの間にかしろが立っていた。彼は書物の上に、風呂敷を広げた。中にはフォークとナイフが一対揃った状態で包まれていた。それをクロスさせて風呂敷に並べ、隣にトマトジュースを添えた。

「完成です!どうですか、はち?」

「・・・銀製の十字架なんざ、まるで」

してやったりな目つきのしろと、一件落着ねと言うゆりに、それ以上の言葉はなかった。
「ありえねぇっての」と一笑に付し、すぐに炬燵を片づけ始めた。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】追加オーダー【更新】

ーーなぜオレは、ここにいるんだろうか?

黒川はちは、一人考える。落ち着いた照明、口元を隠して笑う客人、しわ一つないシャツの給仕、眼下に臨む美しい夜景。座っているのに、足が震えてそわそわと落ち着かない。
隣人は、ダンディなシェフとコース料理に関する話題を楽しんでおり、彼の口は食事よりも発言に重きを置いている。

ここは遙光の街の、とある高級レストランである。主に予算面において、滅多に外食をする機会のない家計であるのだから、店名こそ知っていたが、一生縁のない場所だと信じて疑わなかった。
次々と配膳される料理の数々に、「いつになったら、終わるんだ?」と尋ねる勇気もなく、ただ黙々と、運ばれた順に、ただ淡々と、口を開け咀嚼し胃に収めていく。「量が少ない割に、皿が大きくないか?」との思いも一緒に飲み下した。どうしてこうなったんだと、思考回路の方向を変更する。
「古くせぇスーツなんざ、ひっぱりだしてくるんじゃねぇよ」と、隣人に毒づいた数時間前。あれよあれよとスーツに着替えさせられ、外車らしきよくわからない高級車に乗せられて到着した店の前。お待ちしてましたと絨毯の上を、疑問符を消去できぬまま案内されたテーブル席の前。

「・・・え、その・・・お久しぶりっス。」

「・・・先日は、どうも。」

そこには先達ての案件である、鹿々苑百貨店の依頼主であった大男が座っていた。



「あれから、ぱったりと静かになりまして。」

「・・・はは、そうっスか。」

「これも黒蝶堂さんのおかげだと、感謝しております。」

「・・・いや、オレ達はなにも。」

大男の無感動かつ無表情の声音に、身じろぎ一つできない。独特の緊張感を与える彼は、店内であるというのにやはり、以前と同様の帽子を目深にかぶっている。なんだか、頭痛がする。ぎりぎりと周囲から締め付けてくるかのような痛みだ。

少しの間をおいて、彼は本題に入った。

「ところで、この件は他言無用という話をしておりましたが。」

帽子の隙間から覗く視線によって、背筋に氷のつぶてが這わされる。うまく言い表せないが、殺気のようなものを感じ、思わず身構える。ナイフとフォークを握る指の震えを肩ごと押さえつけるよう力を込め、

「・・・無論、約束は守るべきもんっスよ。」

こうなりゃやけだと、挑発的に、男を見やった。
大男は、静かに言う。

「もう一つ、仕事の依頼をしたいのですが宜しいですか?」

「・・・え?」

ずれた眼鏡を元の位置に戻す。肩の力はまだ抜けやしない。

「勿論、他言は無用ですが・・・」

高級料理を食べ尽くした自分たちの退路は断たれていた。



「それが、料理の毒味役というわけね。」

「・・・毒味って言うな。」

黒蝶堂に戻ってきた時、棚の上から少女が投げかけてきた。ずっと留守番をしていたはずの彼女だが、未来が見えるとほざく彼女には、万に一つの可能性で、すべてお見通しなのかもしれない。慣れないスーツの上着を脱ぎ捨て、堂長席に着くと、ゆりは「悪くはない話ね。」と告げた。

話を整理する意味も込めて、彼女に語って聞かせることにした。

鹿々苑百貨店では現在、「デパ地下の総菜料理」をテーマにした企画が計画されている。大男も企画に一枚かんでおり、集客のための構想を練っている途中だという。そして試行錯誤を重ねた結果、「百貨店の高級感」に思考が帰した。若者達から敬遠されがちな高級デパートに、若者達を呼び寄せることが出来たらどうかと考えた。

親切心からなのか、大男は、ゆっくりと噛み砕いて説明する。言葉の空白が耐えられず、

「・・・確かに、行かねぇかもっスね。」

当たり障りのない言葉を埋め込んでみると、大男の目が、再度光った。

「そこで、君たちに依頼したいのです。」



「質より量、安全性より安価でしょ、貴方達は。」

「それをあの場で言えたら、苦労しねぇっての。」

若者の舌は同世代にしか分からないだろう。そこで、思いついたのが黒蝶堂の若者2人組だったらしい。なにぶん”鹿々苑百貨店”の未来を担う重要な仕事のため、日雇いの不特定多数の人間に依頼するわけにもいかない。

平たく言えば、、”若者の舌の提供”が、今回の依頼らしく、どういったものが好み足りうるかを調査する、らしい。

一回目の今日は、この店の料理についての感想をまとめて提出してほしいとのことだ。

店を出るとき、大量にみやげものを持たされたしろは目を輝かせる。

「僕たちが若者代表になるなんて、びっくりですね!」

「・・・さすがに、他の奴にもアンケートくらい取るだろ。」

第一、味なんて覚えてねぇし。最初から言ってくれれば、まだましだったかもしれねぇのになと、強く思った。



次の日の朝。
いつもと違う匂いに食卓へ誘われれば、洋風の白いスープが、味噌汁をよそう椀に注がれていた。見覚えのあるような、ないような。額を押さえ考えていると、

「昨夜のですよ!」

と、台所から回答が飛んできた。
隣には、柔らかそうなパンと少ない量の野菜サラダが並ぶ。なるほど。間違いない。これは、昨日の料理だ。皿が違うためか、雰囲気の差で気が付かなかった。さじを取り、一口掬う。

その瞬間、昨日の大男の指先までが思い出された。

「・・・どういうことだ?」

味も、食感も、温度も、色もすべてが、昨日の夜の料理と同じような気がする。あまり味わえなかったので、もしかしたら勘違いしているのかも知れないが、記憶が明白に呼び覚まされる感覚に襲われた。

一人固まっていると、しろがふてくされ気味に、向かいに座った。

「僕、一度見たものは忘れないんです。」

だから出来るかなと思って、色々とお話を聞かせてもらったんで、材料も試しにもらって、その通りにしてみたら出来たんですと言い、さじを取った。

一口すすめた瞬間、彼の表情が曇り、唇と同時に言葉を突き出した。

「おもしろくはないですね、同じ物なんて。」

「あら、おいしくはあるわ。当然のように。」

突然現れた少女の影に、思わずおののく。
自分の隣で少女が座り、スープに唇を沿わせていた。

「本当ですか!嬉しいです。」

ぱあっと、しろの表情が明るくなった。本当に、現金な奴である。

「だけど」少女は薄く笑む。

「貴方達向けではないわね。上品で。」

「僕も、そう思っていたところです。」

彼らのやりとりを見ながら、今度は前菜に手をつけた。昨夜よりも味がよくわかる、ような気がする。

「・・・またよくわからねぇ仕事を持って帰っちまったな。」

と一人ごち、テーブルに肘を突いた。

テーマ : オリジナル小説
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【小話】流行りの警戒色【更新】

マスク姿のしろが、ゴム手袋を左手で引き延ばす。ゴーグルに近い防護用のガラスが、碧い瞳に陰を落とす。

「流行真っ直中なんて、らしくないですよ。」

「・・・乗ったんじゃなくて、向こうから来やがったんだ。」

「時代に追いつかれたなんて、なおさらです。」

「・・・取り残されるのが、お似合いってか。」

検査してねぇから、ただの風邪かもしれねぇだろと、掠れ声で軽口を叩く、布団に横たわった黒川はちは、掛け布団を引き上げて咳込んだ。体のありとあらゆる場所が、金属のように堅くなり、咳の反動で体が跳ねると悲鳴を上げる。節々が痛いなど、単なる風邪の症状とは違うなと、薄々感づいてはいたが。

「僕が、かかるべきだったです。」

正座をし、はちの傍に控えたしろは、下唇を噛んでうつむいた。

「・・・お前は年中、熱にうなされてるようなもんだろうが。」

思考回路も、突飛な言動も、オレの常識とはかけ離れてるぜ。はちは肩で息をしつつ、生ぬるくなった氷嚢の位置をずらし、額にきちんと乗せた。

「このままはちが死んじゃったら、僕は天涯孤独の身ですよ。」

「・・・大げさだっての。んな簡単に、死ぬわけがねぇだろうが。」

両者の間を、沈黙が通り過ぎる。鼻をすすったはちが、手の甲で自らの額を覆う。すると、顔を伏せていたしろが、その瞳をきらりと輝かせた。寒気を感じたはちが薄目で見やれば、しろの手には、蛍光緑のどろりとした液体の付着した綿棒があった。

「鼻につっこむんですよね!」

彼は眩しい笑顔を弾けさせる。
膝上には、「自宅で治す家庭の知恵~迷信編~」とのタイトルの書があり、色褪せた頁が広げられていた。

「・・・もうだいぶ調子がいいから、それは不要だ。」と、はちが言えば、

「なら、僕が熱を出すまでは、ここからでませんからね!」

しろは強く主張した。

ーーこのままでは、新しい症状が追加されて更に苦しむことになる。

はちは働かない頭をフル回転させ、ようやっと見つけた台詞に全てを懸けた。

「・・・ここでオレから感染しても、ただの踏襲にすぎねぇぜ?」

深刻そうに言ってみれば、一刻の間を置いて、

「それでは、ぜんぜんおもしろくないですね。」

しろは唸り、「わかりました」と、綿棒を色付きの瓶にしまい込んだ。次いで手早く片づけを済ますと、

「なら、僕はこれで」

手を振り、あっさりと部屋を後にした。はちは、一人になった部屋で、小さくこぼす。

「・・・あいつの考えてることは、昔からわからねぇな。」

ーーわかったのは、言葉が通じてても理解できねぇこともあるってことだ。

そう感じたはちが意識を手放すのに、時間はそれほどかからなかった。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】長尺科白【更新】

「僕たちって、言葉で意志疎通を図ってますよね?」

「・・・一種のコミュニケーションツールって意味だな?」

昼下がりの黒蝶堂にて、黒白の両者は言葉を転がす。

「質問に質問で返すとは」云々と、しろは唇をとがらせる。

「・・・だとしたら、どうなんだ?」

答えないしろに代わって続きを促すはちは、人差し指で自らのこめかみ部分を軽く押さえる。天井を見上げていたしろは、「僕、考えたんですけど」と、止まっていた時計の針がふとした瞬間に音もなく動きだすかのように、機嫌を直し、仕切りも直した。

「今までの人生の中で、沢山使ってる言葉は何ですかね?」

彼の手には、「今世紀最も売れた本ベスト100」という書物がある。そびえる書棚の頭上高くに、一冊分の空間の開いた箇所がある。どうやら、棚の整理をしていたようで、はちはそのタイトルに疑問を呈す。

「・・・どの世紀の話なんだ?」

「はちのは、すぐわかりますよ。」

「・・・え?」

戸惑うはちの前、しろは腕を組み、首を傾げた。眉をひそめて、あらぬ方向に視線をやる。そして、咳払いをすると声音を低く保ち、

「「・・・どういうことだ?」「わけがわかんねぇ。」「・・・頭が痛ぇ。」の三本は鉄板です!」

堂長そっくりに、真似てみせた。

「・・・わけがわか・・・」

思わず漏らすところであった言葉を、はちは、ぎゅっと唇を引き結んで留めた。ばつが悪そうな彼の様子に、屈託無く笑う青年の青い瞳が細まる。彼らは続ける。

「いい言葉で埋め尽くされた人生は、いいことが多かったんじゃないかなって思います。」

「・・・頻度じゃなくて、その内容の方が重要じゃねぇか?それに、割合だってあるだろ。」

「頻度が多いってことは、幸せが沢山訪れてるってことですよ。」

「・・・時と場合に寄っちゃ、嘘を言ってるのかもしれねぇだろ。」

「言葉では伝わらないことも多いですけど、言葉にすることで初めて伝わることもあるんですよ。」

「・・・どういうことだ?途中を省かねぇで、ちゃんと最初から最後まで、説明しやがれってんだ。」

「そこは、くみ取ってもらわなければ!」

「・・・言わせてもらうが、頭が痛ぇよ。」

はちはため息を吐き、堂長席で肘を突いた。何気無くしろから渡された書物の出版年を確認すると、「・・・割と、最近のだな。」と呟き、再度綴じこんだ。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】春風のうつり【更新】

「じいさんくさいと思ったんだぞ。」

「・・・冗談だろ?まだ若いっての。」

永く続いた寒さも和らぎ、うたたねの増えた季節柄、黒蝶堂を訪れた少女は、我が物顔で縁側に腰掛けた。暇を見つけては顔を見せる少女の名は牡丹と言い、深見ヶ原墓地の憑者である。

ただし今日、彼女は一人ではない。

「たしかに、ここは!」

鼻をひくひくとならすのは、彼女の散歩仲間であり朝咲寺の憑者である青年である。名前は獅子之丞。彼は黒蝶堂にやって来るや、巨体を感じさせない俊敏な動きで、中庭を駆け回り始めた。すみずみまで探索しないと落ち着かないのか、伸び放題の草木や剪定していない樹木に立ち寄っては、指や掌、頬を使って、その感触を感じ取っている。時折、四つん這いになりながら走る姿は、見る者に脅威さえ与える。外に張り出した廊下には、彼の破れ提灯が放置されていた。

「・・・犬のリードは、ちゃんと持っとけよ。」

色濃く染まり、開いた梅の花弁が南風に晒されては舞い上がっていく。茶菓子を持たされ遣わされたのは、黒蝶堂の堂長・黒川はちである。呆れ顔の彼の後ろから、もう一人の居住者が顔を覗かせた。真白い髪の青年は5個の湯飲みを載せた盆を示した。

「梅昆布茶でも、どうですか?」

すると、背中に二本の卒塔婆をくくりつけた少女は、浅瀬の海の瞳を一層輝かせ、

「それが目的で、ここに寄ったんだぞ」と、悪びれもせずに宣った。

一列に腰掛けた彼らは、注ぐ日差しに目を細める。

「昨日よりは2度も、気温が上がるみたいですよ。」

白い青年が人差し指を立てれば、

「・・・絶対的な温度なんざ、実感できねぇだろ。」

黒い青年が、肩をすくめる。

「昨日よりどうだとか、明日よりはましだとかで、曖昧にしか感じられねぇよ。」

彼は思考する。
日没の時刻が遅くなり、日が段々長くなるのも、暖かくなっていくのも、それに気がつくのはいつも、変わりきってからだ。日々の若干の変化など、ただの誤差の範囲内としか認められないのかもしれない、と。

「・・・結局、”昨日との差異”ってだけなのかもな。」

「少しずつ変化して、大成功を掴み取るんですよ。」

うーんと背伸びをしたしろは、自分の腕を枕に寝転がった。体全体で日光を浴び、口の端を上げたまま瞼をおろして呟く。

「春は、今年も来てくれるみたいですね。」

「・・・春は、毎年飽きずに来るもんだろ。」

肩の骨を鳴らしたはちは、同じく後頭部で両手を組ませ、青い空に瞳を映した。

「そーれ、取ってくるんだぞ!」

その耳に、快活な少女の声が通る。
ブーツの踵を鳴らして、牡丹は円盤型の玩具を宙へと放った。

あれほど動けたら、どれほどすがすがしい気分になるだろうか?

そう堂長が思いをめぐらす程度に、軽快に飛び上がり、しっかりと玩具を捕獲する獅子之丞が視界に映り込んできた。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】鼠色捕獲作戦【更新】

「一人の市民も守れないで、誰が警察だっての。」

「・・・何でそんなアパートを選んじまったんスか?」

黒蝶堂の昼前、堂長席の前で怒気を隠さない一人の若者は、思索にふけるように、顎に指をかけた。

「安いに越したことはないと思った。浅薄だった。」

”殺人事件が頻繁に起こる賃貸アパートの一室”と、契約を結んでしまった。
成人前後の年の頃の若者が真顔で告白してきたのが、少し前のことだ。堂長席の黒川はちは目を点にして、混乱する自分の脳を宥めるため、応急処置として近くの椅子を勧めた。

”被害者になるか加害者になるかは不明だけど”と、切り出した若者は、大量の資料を席に拡散させた。契約完了後、破格の賃料の理由を大家に聞いたら、懇切丁寧に教えてもらった、らしい。あまり見たくない類の写真や細かい文字での報告書が束になり、”持ち出し厳禁”との表書きがあった。

「どちらにも、なりたくないんだ。」

若者は記録の残る最初の事件から、最新の未解決事件まで、あれやこれやと堂長に説明したあげく、膝上で組んだ両手に額を乗せた。地元から出て来たばかりで、友人もおらず、警察に相談しても相手にされなかったという件を涙ながらに語られたはちは「・・・大変だったっスね」と、ここにはいない人間に同情した。内心では、「んなこと言われても」と、口が滑りそうになるのを賢明に堪えていた。若者は、「大家さんが、ここに行けば解決策がわかるかもって教えてくれたんだ」と続けた。なんと無責任なことを言ってくれるのかと、はちは見も知らぬ人間に怨嗟を感じた。

話をして少し落ち着いたのか、若者は顔を上げて鼻をすすった。照れ隠しだろう、そっぽを向いてはにかむ姿は、ますます幼さを際だたせた。と、客人は持参したショルダーバッグを探り始めた。
そして、はちの不安は、眼前で的中する。

「いっそのこと、僕を殺してくれ。」

自分で自分が抑えられないかもしれない。僕は、僕の未来が信じられない。だから、怖いんだ。

若者は笑顔のまま、手に握った折り畳み式のナイフの刃を覗かせた。

「ちょちょ、ちょっとまて!早まるんじゃねぇよ!」

「そう思うこと事態が、思惑通りなんですよ!」

唐突に現れ、客人にびしりと指を突きつけるのは、黒蝶堂の居候・氷山しろであった。堂長席の横に位置どり、両者に茶を勧めた。

「はっ!そうか、そうかもしれないな!」

くそ、誰のせいだよ!と、口説き落とされた若者は舌打ちして、ナイフを投げ捨てた。

ーー誰の思惑通りだというのか。

指摘するのも面倒だなと、堂長は肩をすくめ、床に転がってきたナイフを拾い上げて机に投げ込んだ。
そのとき、一つの打開策が、脳裏で明るく照らされた。引き出しの中、今朝方しまいこんだある物が、視界に入ったからだ。

ーー経験上、彼女ならば、この客が殺人をするか被害者になるかはすぐにわかるはずだ。

客人の相手をしろに任せ、盗み見るように棚を見上げた。

彼女は普段通り、本棚の上に陣取って頁をめくっていた。
訪れる客が彼女の存在に気がつくことはまずない。目の前の客も、自分の持参した資料を提示することに躍起になり、最初から彼女には目もくれていない。言うなれば、書棚に収まる書物の背表紙を逐一確認しないように。冊数をいちいち数えないように。風景の一部に彼女が収まっていて、誰にも違和感を与えていない。

客の手前、はちは唇だけ動かし、「ばかばかしい」と、吐き捨てた。

ーー未来予測なんざ、存在するはずがねぇ。

それに、命を奪う奪われるだの物騒なアパートが存在していたら、すぐに希望者で埋まるはずだろうとさえ感じる。世の中には、妙な需要に応じる妙な供給がある。供給が足りなければ、需要側の人間が転じることもある。それは・・・

「・・・って、堂長さん、聞いてます?」

黒蝶堂さんにとってはありふれたお話かもしれませんけど、僕は不安でいっぱいなんです。誰にも相手にされないし、かといって、出て行くと住む場所は無くなる上に、家賃でいえば他の場所は厳しいし。

「もう、田舎に帰るしかないのかな・・・」

力なく嘆く若者を前に、はちは引き出しを再度引く。確かに3枚ある。この客の来堂する前、ゆりから「時が満ちたら渡して頂戴」と命じられたものだ。長さは広げた手の親指から小指ほど、幅は並べた人差し指と中指の端から端まで、といったところか。白地に真っ黒な蝶が影絵のように散らされ、中央には曲がりくねった山道を幾重にも重ねたような筆文字の並ぶ、柔らかな手触りの札だ。

「漂白剤に漬かればいいんですよ。」

真っ白になりますから、皆が信じてくれるでしょう。仮に貴方が、誰かを殺めてしまっても。

「・・・まともなら、実践しねぇよ。」

「ならば、お医者さんに掛かってみてはどうでしょう?」

「・・・お前が精神科に行くのか?それだけは止めとけ。」

どうせ治らねぇんだから、時間と金の無駄だろ。言いつつもはちは、引っかかりを覚える箇所の謎を紐解くことにした。

ーー資料が揃っていること事態が、おかしくないか?

それを足がかりに、はちは一つの仮説を構築する。

感情的かつ心配性で、貧乏性の若者が行き着く先は、そこに住むか、折れて実家に帰るかだ。大家は”事実”を公表し、黒蝶堂に行けとアドバイスをした。それはアパートでの事象をオカルト話だと信じさせるためかもしれない。認めたくない話だが、黒蝶堂は”そういうのを扱う店”として、巷では名が通っているとかいないとか。知らない若者にはより一層、効果覿面で、ますます不安が大きくなる。結果、怯えた者は、街が性に合わなかったと諦観して元の場所へと戻る。

つまり、新天地に繰り出してきた人間をその場から逃げさせ、かつ、その行き場の選択肢を狭めようとしている人間がいる。言わずもがな、大家とその人物は共謀者だ。

答えが繋がった瞬間、3枚の札を、資料の上に等間隔で披露した。
戸惑う客に、

「この札を貼ってみるといい。」

堂長は腕組みをし、椅子に深く腰掛けると、斜に構えて客を見つめた。

「玄関でもトイレの壁でも、どこでも?」

「毎日見るところがいいと思いますよ!」

それを見て、初心を忘れないようにするんです!と、しろは胸の前で握り拳に力を込めた。

「・・・自分を守るのは自分だ。自分を信じられれば、いざというときにも対処できるだろ。」

ーー我ながら偉そうだ。

そう思うはちは眉根を更に寄せるが、若者は神妙な面もちで頷いた。祭事の時、神前に進む代表者のような表情だ。

「迷ったら、いつでも来てくださいね!」

しろの投げかけに、札を抱き抱えた客人は浅い礼をして、店を飛び出していった。その背を見送った堂長は、長い永い嘆息を吐いた。ひきつった笑いを浮かべて、「慣れねぇことは、するもんじゃねぇな」と首を鳴らし、突いた肘の先に顎を乗せた。気がつくと、棚の上の少女が近くに寄ってきていた。

「・・・あの札には、効果があるのか?」

「あるわけがないわ。ただの紙切れよ。」

思いも寄らぬ即答に、はちは絶句する。薄々感づいてはいたが、それらしく振る舞った過去の自分のせいで、今の自分の居心地が悪くなる。彼女は素知らぬ顔で、「悪くはなかったわ」と感想を宣った。

「・・・まさか、未来が見えたのか?」

「漸く、信じる勇気を会得したの?」

「・・・冗談だろ?ありえねぇっての。」

眉をひそめ反発するはちに、彼女は薄く笑む。

「この地球上で、人が死ななかった土地があるとは思えないわ。」

「・・・決意を曲げなけりゃ、どんな場所だとしても生き残れるだろ。」

はちはそう言うと、「次に来た時は、家具の本でも買っていってもらわねぇとな。」と、ため息を吐いた。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】黄緑パラレル【更新】

黒蝶堂に乱立する本棚の片づけをしていた昼時のことだ。
最初は、膝が笑ったと思った。しかしそうではなく、床板に笑われていた。

「・・・嘲笑に似てるのかもな。」

四肢の自由を失い焦る自分とは対照的に、他人事のように冷静な立ち位置の自分は分析した。

臀部を強打した体は、すぐには動けなかった。後ろ手についた掌が、砂混じりのざらざらとした床を這う。はずみで飛んでいった眼鏡を探ると、並べるつもりであった書物の背表紙であろう、柔らかい装丁が指先に触れた。辺りは薄暗く、床は冷たい。膝を折り、勢いをつけて立つと、今度は頭を強打した。呻き声が口の端から漏れ、ぶつけた箇所を手でさする。こんなにも天井が低いとは想定外だ。

「・・・一体、ここはどこなんだ?」

場所は不明だが、下手人には心当たりがあった。
こんなことをする奴なんざ、あの正体の知れない無口な少女か、あの電波的思考回路の青年かだろう。目的も方法も不明だが、この店では、自分の身は自分で守らなければならない。だとしたら、この場から一刻も早く脱出し、いつものように堂長席に座り、時に流されるのが一番である。頭を切り替え、中腰の姿勢を取る。注意深く手を虚空に惑わせた。すると、ちょうど腕を伸ばしきったところで壁に触れた。少しの凹凸が指にかかる。べたべたと掌を密着させてみれば、

「はち、こんなところでなにを?」

世界は、横方向にあっけなく開かれた。
覗いたのは、誰でもないしろであった。青い目をまっすぐに注いでくる。

「ここは?」たった3文字の言葉が喉奥で絡まった。しろが「もしかして!」と、頬を緩める。

「猫型ロボットに、会うつもりですか?」

「・・・いつの間に、2112年になったんだ?」

ーー何でその話がいきなり出てくるんだ?

疑問を手で払うようにし、明るい方角へ這い出てみれば、がらくらたががらがらと置いてある見覚えのある部屋に足がついた。ここは、しろの居室で、自分はその部屋の端にある押入にいたようだ。通りで狭かったわけだと合点を得る。雑貨類の間を抜け、足早に黒蝶堂へ戻ることにした。壊れたであろう床板を修理しなければ、客人が下へ落下してしまう。そう、自分と同じように。

「・・・?」

階段を下りていると、違和感がふつふつと心にわき上がってきた。しかし、その正体は不確かだ。まずは1階の店の様子を見るのが先だ。考えるのは、その後でも遅くはない・・・はずだ。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】紺碧の攻防【更新】

「・・・おい、重てぇぞ。」

「人って漢字を知ってますか?」

しろが、宙に大きく文字を描く。
はちは、遙か深いため息を吐く。

「一人じゃ人にはなれないんですよ、きっと。」

「一人立ちしてる人間は、たくさんいるだろ。」

途端、背中の支えを失ったはちは後方へと倒れた。

「そう見えるだけなんですよ。」

青い瞳で弧を描いたしろが、仰向けになったはちを見下ろす。後頭部を強かに打ち付けたはちは、「失って初めて気づく、とか言うんじゃねぇだろうな?」と、眼鏡の位置を整えつつ吐き捨てた。

「おじいちゃんの背中には、まだ及ばないですね。」

今は亡き黒蝶堂の先代に思いを馳せたしろは、起きあがったはちの背中を見て、頭上に電球を灯した。

「・・・んな簡単に、追いついてたまるかってんの。」はちは額に指を添え、肩越しにしろを見た。

「あと、献立を人の背中で計画するんじゃねぇよ」と刺せば、「バレてましたか」と、しろは微笑んだ。

「生きていくためには、考えなきゃいけないんですよ。」

「・・・お前の考え方は、方向性が間違ってると思うがな。」

「僕はいつだって、全力投球しているだけですよ。」

「剛速球を受ける奴のことを慮ったことはあるか?」

「気がつくと、いつもキャッチャーがスタンバイしているんですよ。」

「・・・延々と後攻を待つ試合なんざ、最初から受けるべきじゃねぇよ。」

口の端を歪めるはちの顔面に、皮と土の匂いが押しつけられた。「ならば」と、しろが白に赤の網目を握りしめ言う。

「本当の勝負といきましょう!」

「・・・受けて立とうじゃねぇか。」

「”勝った方が、負けた人の命令を聞く”ってことで!」

「・・・だから、普通は逆だっての!”ふつう”は、な!」

どうせ客はこないのだ。幸い、黒蝶堂の監視者である少女もいない。彼らはそれぞれ道具を持って、中庭へと赴いた。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】飴色のこうふく【更新】

「またこれか・・・」

もはや言葉にするのも面倒だと、昼食を前にため息をつく。ずっしりとした質量の、甘ったるい匂いを放つそれが並んだ食卓は、ここ何日続く光景である。

「だって、たくさんもらっちゃったんですから!」

美味しいうえにお腹も満足するなんて、とっても素晴らしいことですよ!と、割った芋の片割れをはちに差し出したしろは、声高に主張した。

「・・・オレたちは、いも責めにあってるんじゃないか?」

それを受け取り、小さい一口を運ぶはちは「・・・いや、オレたちにいもしか食わせねぇことで得する人間がいるとは思えねぇな」と冗談めかした。すると、しろははっと目を見開き、皿に芋を置いてテーブルを叩き立ち上がった。年季の入ったテーブルに、ぴきりとひびが入る。

「ど、どうした?」

ぎらぎらと輝く青い瞳が眼前に迫りくる。ますます疑問符が増えた瞬間、緩めていたネクタイを引っ張り上げられた。首が締まり、口中におさめたばかりの芋が、逆流しそうになる。喉に詰まり、明日の新聞を賑わせるだなんて、ごめんだ。なんとか我慢し、机の上に手を伸ばす。そして、突如狂人と化した隣人の口に、彼の芋を突っ込む。ひるんだ彼の手が離れた瞬間、咳込みながらも、なんとか口内のいもを嚥下した。水で流し込み、落ち着いたところ、視界に入ったのは、反動で倒れ、テーブルに頭をぶつけて失神しているしろの姿であった。テーブルの端が欠け、木材の破片となって転がっている。

「おい!」

近寄り、額を叩く。数秒後、彼は呻いて目をうっすらと開けた。目の色は元に戻り、穏やかな海のような柔らかさを示した。弱々しく動く口元が、細々とした声を紡ぐ。

「はちがこれ以上いも臭くなってしまったら、ますますお客さんが減ってしまいます。」

「いも臭いのは、いもから伝染るわけじゃねぇっての!今に始まったことでもねぇよ!」

はちはひそまる眉をそのままに、皿の上に築かれた飴色の山に目をやって、ため息をついた。

テーマ : オリジナル小説
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【小話】無の背景色【更新】

「未来が見えますよ!」

客の姿のない黒蝶堂にて、彼は一冊の本を堂長に提示した。彼の指さす先には、中央部分のみを乱雑かつ器用に破り取られている頁が開かれている。いびつな形の穴の周囲は焦げ茶に変色しており、残された文字が散らばっている。次の頁が破られた箇所から読めるのを指して、彼は「未来が見える」と騒いでいるようだ。ぼんやりとその様子を観察していると、彼は今度はその1枚をめくり上げ、紙の縁を目の縁に合わせた。そして万華鏡を覗くような姿勢で、堂内を歩き始めた。
感嘆の声を上げながら見慣れた景色を楽しむ彼の笑顔は、堂長席にて頬杖を突く堂長に向き直った途端、瞬く間に色を失っていった。

「・・・どう見ても見えるのは現在だろ。」

売り物にはならねぇなと、はちは渡された本を堂長席に置いた。ちょうど、書棚を整理していたところであった。ぺらぺらと時間を右から左へ進めれば、他に欠損している箇所は無いことがわかる。物語の中央付近で、この本になんらかの不幸が襲ったらしい。焼け焦げたようにも、虫喰いのようにも、水に濡れてよれた結果抜け落ちたようにも見える、不可思議な痕跡だ。

「一期一会ですからね。」

もし今、手に取らなかったら、その本に出会うのはまた何百年後かですよ。

「・・・そんな先なら、もう生きてねぇだろうが。」

「本は、生きていると思います。」

「無機物なんだから、最初から、生きてなんざいねぇよ。」

ため息を吐いたはちは、ふと呟く。
表紙をなぞる手を止め、椅子に深く腰掛け直し、腕を組んだ。

「・・・なんか、変じゃねぇか?」

「貴方にしては、珍しく察しがいいわね。」

はちはぎょっとし、目を丸くした。
堂長席の脇に、いつの間にか赤い少女が佇んでいた。

「頁そのものを破り捨てるか、この書物自体を捨てれば良かったのよ。」

彼女の指摘に、はちの眉を寄せる力が弱まる。違和感のしっぽを掴んだ気分である。

「理由なんざ、ねぇんじゃねぇのか?」

彼の発言は、彼女の冷ややかな視線により真っ二つに折れ曲がって地に転がり沈黙した。
代わりにと言わんばかりに、しろがびしっと人差し指を立てた。

「ここに”なにか”があったことを、”誰か”に教えるためですか?」

すると彼女は、

「可能性の一つ、ね。」

軽く頷き、「察しのいい子は嫌いじゃないわ」と、しろを見やった。

「・・・勘ぐりすぎだろ。」

妙なやりとりを繰り出す同居人たちを前に、はちは再度ため息を吐いた。渦中の本を机上で広げる、それを合図にゆりが小さな手をかざす。すると、紙の繊維を織るように繋がっていき、段々と文字が濃くなり、穴はゆっくりと塞がっていった。

以前の所有者の、隠したいが晒されたくもある過去が、徐々に姿を現す。
彼らは音のない魔法のような現象を前に、じっと書物を見つめ、

「な・・・!」

「これは、何百年前の記録なんですか・・・?!」

二の句が継げなくなった。

それは黒白の彼らが珍しく揃って蒼白になる、少し前の話。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

【小話】空の旅【更新】

ゆるゆると瞼を開けば、首から肩にかけて、鈍い痛みが走った。そろりと動く分の勇気の持ち合わせがない。

「よく眠っていたわね」

「・・・断じて、眠ってねぇよ。」

頭上からの少女の声に、落ち着き払ってみせて対処する。
以前、これと酷似した状況の時、あらぬ方向から万年筆が飛んできた場面が鮮明によみがえる。

「・・・暗いだろ。」

「必要ないわ。」

彼女は薄闇に瞳を猫のように光らせて、手元の書物をめくっている。

「どんな目だよ。」

「私は黒蝶堂の憑者よ。」

返事よりも先に、ため息が出た。
ゆりは頁から目を逸らさずに言う。

「貴方の悩みは、時間が解決するわ。」

「・・・明日に持ち越すような高尚な悩みなんざ、持ち合わせがねぇよ。」

「どんな夢だったのかしら。」

彼女にとっては他人の隠し事など、硝子ケースに並ぶ氷菓のように映るのかもしれない。それに追随する無言という圧力が建物の内部から発せられ、体を四方八方から押さえつけてくる。

自分の夢など、他人には何の意味もないに違いない。そう思いつつも、記憶の断片を繋いで口にする。

「・・・じいさんと歩いていた。」

しばらく歩くと、梯子が掛かっていると言って、祖父は見えない道を辿って空へと踏み出した。しかし、そんなものはどこにもなく、子どもの姿の自分はその手を振り払った。暖かさがどんどんと体から抜け落ち、指先が凍り付いて動かせなくなった。涙すら凍ったとき、何かが空から降ってきた。ふっと体が軽くなった。足元を見て、慌てて先行く祖父に手を伸ばした。

まとめると、そんな夢だった。だが、

ーーどう取り繕っても、取り留めのない話だな。

次の言葉を探すが、少なくとも机の上にはペンが転がるのみで、答えは無かった。妄想じみた話を披露するのは、夢という不可抗力な事象であっても、やはり恥ずかしさを伴う。場をごまかすため、体勢を変え、体を捻る。ぱきりと、骨の軋む音が鳴った。

すると、背後で何かの落ちる気配がした。手を伸ばし、机上の明かりを灯す。拾い上げたのは、見覚えのある羽毛布団であった。自然と、眉がひそまった。道理でこの薄暗く底冷えのする夜の黒蝶堂でも、うたたねが可能であったわけだ。

「・・・あいつに普通は通用しねぇが。」

前置いてから、「普通は、毛布とか上着とかじゃねぇのか?」と続けた。

「彼は、こう言っていたのよ。」

気づけば少女は音もなく、堂長席の前に舞い降りていた。橙の光に、彼女の赤い瞳が揺らぐ。それはわずかに細められているようにも、普段通りの、何の感情も映さないようにも感じられた。

「「羽が生えたら、睡魔も飛んでいくはずですよ」とね。」

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【小話】橙の知覚【更新】

電光掲示板を見上げるしろが、ふっと声を漏らした。配達の帰路、駅のホームという雑踏の中でも、彼の声ははちの耳へ正確に飛び込む。

「右から左に流れてる文字を見てて思ったんですけど、あれって順々に電飾が光ってるだけですよね?」

「・・・まぁ、そうだな。」

あれを電飾と呼んでいいのかと心中で異議を唱えつつ、はちも釣られて視線を追う。

「僕たちも、同じかもしれませんね。」

「・・・なにがだ。」

しろは朗らかな笑顔ではちを見やり、人差し指を立てる。冷たい風が、彼らの横を吹き抜けていく。

「錯覚ですよ。」

はちは指先を額に添え、眉をひそめる。待ち時間をつぶすには隣人との会話がもってこいだが、いかんせん彼は電波的思考回路の持ち主である。空想力が試されるなと、はちはさして高鳴らない好奇心に引きずられ、思考を深める。

「・・・自分は動いてねぇのに、第三者には動いているように見えるってことか?」

「逆も、です。」

「そんなわけがねぇだろ」と続け、足元を見る。自分の足は、揺れるホームを踏みしめている。周りには入れかわり立ちかわり、人が流れて位置を変えていく。

「地球が毎日ぐるぐるしてるのは知っていますか?」

マスクと制服の子どもが、指を惑わすしろを怪訝そうに睨む。手元で開かれた参考書が、風で煽られる。しろは、その視線をすり抜け、深刻そうに顎に手をやる。

「まだ、気づいていないだけなのかもしれません。」

「お前はもっと気づくべきことがあると思うがな。」

たとえば、乗るはずだった電車が今し方、出発してしまったこととかな。
隣の子どもが参考書を閉じたときに気づくべきだったんだと、はちは深いため息を吐く。再度電光掲示板を見上げると、休まない電飾たちが自分たちを見下ろしていた。

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【小話】さえざえとした夜8 (終)【更新】

【さえざえとした夜 8】(7はこちら)

はちは耳を澄ます。しかし、自分の音がうるさくてはっきりと聞き取れない。音量を絞る。彼女は、居場所を忙しなく行き来し、立ち位置を変え、身振り手振りを交えて、一人で忙しそうにしている。口を開いているから、言葉を発していることは解る。まるで、舞台上で二役を演じる役者のようだ。

彼女の声が、途切れ途切れに漏れてきた。

「そんなんじゃだめだって」

鼓舞するかのような、力強い声である。

「だって、怖いんだよ。」

立ち位置を変えた彼女は眉を下げ、弱音を吐く。

「なら、僕が守ってあげようか?」

良い事を思いついた!と、一方が自分の唇を触る。

「・・・本当?」

期待と不安に満ちた声で、他方は声をひそめる。彼女は頼もしく笑って、大きく頷いた。

「君が僕を必要とするのなら。」

次の瞬間、はちは楽器を叩く手を止め、目を疑った。手から滑り落ちたタンバリンは地に衝突し、鈴が外れ、無惨に四散した。

彼女は二つに分裂した。
弱音を吐いていた彼女が目を閉じる。すると、彼女の体から、白い影が抜け出でて、さなぎがだんだんと色づくように、ゆっくりと体を形成し、彼女とそっくりの、異国の踊り子のような格好の少女が現れた。開いた瞳の、つり上がった眉は元の彼女とは異なり、意志がずっと強そうである。

はちは呻く。

「・・・頭が痛ぇ。」

彼の前では、生まれたばかりの彼女と、彼女を生じさせたサヱが言葉を交わしている。サヱの不安に一方が耳を傾け、心配ないと返す様は、まるで最初から、彼女達は二人であったかのようだ。合成映像かと疑ったはちは、

「すごい、すごいですね!」

はしゃぐしろが実は、映写機でも仕掛けているのではないかと勘ぐった。しかし、その仮定を覆すほどの、”彼女の質量”に、カメラを探す目を諦めさせ、

「・・・あの、ちょっといいか。」

両者の間に入って、元のサヱと思われる側に寄った。彼女は怯えた瞳で、一方の陰に隠れた。

「てめぇは、オレたちをずっと追いかけてきただろ?」

数分前まで、楽しそうにオレたちを狩ろうとしてたじゃねぇか。あの時の勢いはどうした?オレにとっちゃてめぇの方が、怖ぇっつーか不気味なんだが。それに・・・

混乱を口ずさむ口は、両脇から塞がれた。視野が暗転した。瞼を開いて見えるは夜空と、痛むは後頭部で、2つずつの瞳が周囲から注がれていた。1階からずっと、彼らを妨害し続けた子どもが、”それぞれ”はちを見下ろしている。

目を白黒させるはちに、彼らは口々に言う。


「死にたくなければ、私たちについて話さないで。」

「深く考えると、心が壊れちゃうかも知れないでしょ。」

「世の中には、知らない方がいいことだって沢山ある。」

「どうせ説明しても、絶対理解できないだろうし。」

「不安に思わせて狂っちゃうより、ずっといい。」


子どもたちに馬乗りにされたはちは、

「・・・てめぇら、なんで似てるんだよ」

平常心平常心と唱えて、子どもたちに問うた。
地上より今まで、同じ声の主に追いかけられていた。が、現実はどうなっているのか。髪型も衣服も雰囲気も、おそらく性別も違うが、顔だけはサヱにそっくりな子どもたちが、五つ子も越えた数で存在している。こんなことがあり得るだろうか?いや、ない。誰が聞いているわけでもないのに、思わず反語を使ってしまう程に、頭が混乱している。

子ども達は言の端に、自信を漲らせ口角を上げる。

「「「「僕たちは」」」王女に必要とされた。だから、ここにいる。」

「・・・王女?」

警備会社の制服の”サヱ”が一歩踏み出て言う。

「サヱこそ、僕たちの、絶対君主だよ。」

「・・・わけがわかんねぇ。」

身動きのとれないはちの隣、しろは目をきらきらと輝かせ、

「彼女が王女様で、君たちが従者さんで、僕たちが異国からの使者ってとこですね!」

と、両手を合わせ、一人トリップしている。

「だから、大きい声で言わないでって!」

しろの近くにも、たくさんの子どもたちが取り巻きのように溢れている。「静かに!」「静かにして!」「なんで白いんだよ!」「いや、青だよ!」「うるさいうるさい!」しろよりも周囲の声こそ、とても大きい。はちの視線は冷たいが、子どもたちの手を取ったしろは、今にも踊りださんばかりである。戸惑っているのは彼よりもむしろ、子どもたちの方であるようだ。

こちらを諦め、気を取り直し、救いの目をゆりに向ける。

彼女は屋上から足を外の世界に投げ出して書物をめくっている。飛び来るカコの攻撃をひらひらとかわし、見る者の心を冷たくさせる笑みを浮かべている。こちらの様子には微塵の興味もみせていない。

堂長は心を決めた。

「・・・わかった、多くは聞かねぇよ。」

のしかかっている者たちに諸手をあげて降参の意を示す。

「秘密が多いんだろ?」

彼の態度に、子ども達は顔を見合わせる。

「誰でも知られたくない秘密の一つや二つ、あるもんな。」

はちが見せかけの同意を示すと、少しの間を置いて、彼女たちは、彼の体から降りた。のみならず、はちやしろから、一定の距離を置いて、彼らは地にかしずいた。
いったい何事か、はちは戸惑う。その答えは直ぐに判明した。

「サヱ、話して頂戴。」

仰向けの彼の頭の上で、ゆりの声が響いた。

「貴方のことを、話せる範囲で。」

ゆりに手を引かれた、フランス人形のような容姿の彼女がすぐ傍まで歩いてきていた。子どもたちはサヱに向かって、片膝をついている。何をされたのか、遠くではカコが、横笛を吹いている。表情はこれ以上無いくらいに歪んでいるのだろう。はちは推測するが、真実はわからない。

「ありがとう、ゆり。」

サヱは堂長へと居住まいを正した。背負っていた荷物を下ろし、取り出したベースを構えて、ピックを輝かせ始める。彼女の声のバックグラウンドには、常に音楽がつきまとっている。

「私はここにいるようで、どこにもいない。」

ならばいっそ、誰かの中に紛れて、消えてしまっても同じでしょ。そうなればいいなって、ずっとずっと思ってるの。

歌うように囀る彼女に、はちは眉をひそめる。随分と取りとめも無い話を切り出してくれたものだと、返しの言葉を探す。あれでもないこれでもないと探して、結局、思うままを口にする。

「そこにいるのがてめぇで、てめぇはほかの奴とは違うだろうが。」

「・・・・・・」

曲を奏でる手を止め、サヱはうつむいた。周囲の視線が、はちの体全体を突き刺す。皆、発言権があるのにもかかわらず、権利を放棄している。これではまるで、”こいつがいじめたんです”と糾弾されているようではないか。と、はちが言い訳を兼ねる継ぎ句を探し出すと、サヱの指が動いた。
音楽が、息を吹き返す。

「君は、似ているね。」

「・・・誰にだ?」

「また遊びに来てくれると、みんなも退屈しない。」

仕事があると、皆、生き生きしてくるから、僕も嬉しいんだ。彼女はほんのわずかだけ、相好を崩した。そして、鬼桐に視線を送る。

「答えはイエス。君の提案に従う。」

「おい、なれなれしい口をきくな!」

「それに、僕の同意もまだだ!」と、横笛を握り、怒りを隠さず近寄ってきたカコは、元通りになった両の手を振って喚いた。サヱは言葉を選ぶ。

「でも、ここを片づけたい。そして、事情を聞きたい。」

ごめんなさいって謝りたいんだ。僕みたいな奴が、ひとさまに迷惑をかけているなんて知らなかった。そんな権利もないのに、ごめんなさいって。

ベースのネックを握りしめる彼女の、緑の瞳に光るものがあった。それは宝石のように輝いている。彼女はすべてが、人形のように作り物めいているなと、はちは勝手な感想を抱いた。
だが、

「それを知って何になる?」

一筋の涙を流した彼女に、鬼桐はすげなく返した。

「貴様の自尊心を守るためなら、許可はできない。ここを片づけて、おとなしく存在し続けることだっ!」

事情を説明する暇も、時間もない。私は忙しい。それに、貴様が迷惑をかけたと思うやつらは、誰一人、もうこの世界にはいない。

煙草の火を絶やさず、鬼桐は金色の瞳を堂長へと向けた。射すくめられたはちは、彼の瞳の中に並々ならぬ敵意を感じた。目を逸らさずに、鬼桐は断言する。

「私がいれば、遙光の街は平和であり続ける。」

彼の演説に、口を挟む者があった。

「見張りを付けて、再び異変が起こったなら、その責任は誰が取るのかしら?」

意地悪な老婆のごとく、ゆりはカコの神経を逆なでする。憤慨と嘆願の入り混じる表情のカコに、鬼桐はあっけらかんと言う。

「自己責任だっ!隊の威厳を損ねたとして、闇に葬るっ!」

「音は死なないから、大丈夫…だと思う。」

俯き、スカートの裾を握るサヱと、絶句するカコをそのままに、月が雲に隠れ、再び姿を見せた時、鬼桐の姿は煙草の煙のように消えていた。

「神出鬼没ですね。」

彼の姿をきょろきょろと探すしろは、「鬼さんこちら、ですよ」と空に歌った。

「ありがとう」

サヱは残された黒蝶堂の面々へ頭を下げた。

「君たちが僕を見つけてくれたから、僕は僕のしていたことの重大さを知れた。」

「いや、オレたちはなにも・・・」

はちはばつが悪そうに、首筋を触る。

「そうですよ、はちは何もしてませんから!」

にこりと笑うしろの指が、クラシックギターのフレットを押さえる。

「歩き続けていたら、偶然貴方に会えたんです。」

リリリルル~と、いい加減なリズムで歌った。

別れ際、子ども達はサヱの視線を奪うようにあちこちで音を立てつつ、順々に堂長に近寄ってきては、口々に同じ事を言った。

「「「遊びに来ないと王女が退屈しちゃうよ!」」」

「誰」に対しても、はちは同じ返答をする。

「・・・オレは退屈の方が向いてるんだけどな。」

そのたびに、異論のあるしろが手を挙げる。

「退屈はつまんないですって。また来ますよ!」

と。

ビルの端には、螺旋階段が設置されていた。気が飛びそうなほど、高い場所にある長細い構造に、はちは心もとない感覚を覚える。サヱに見送られた黒蝶堂は、外階段を下り始めた。

頼りない金属を叩く三人分の足音が鳴る。段の端が凍り付いている。どおりで寒いわけだと、はちは前傾姿勢で俯き加減に歩く。

「人格も揃ってるとは、さすが、百貨店ですね!」

彼ははずむ足取りで、手すりに小指すらかけていない。

「・・・オレは未だに信じられねぇんだが。」

今日の夜の事が、夢でしたとタネ明かしされても信じるかもしれねぇと、はちはため息をつく。螺旋階段は思った以上に急で、カーブがきつく、風当たりが強かった。仮にしろが足を踏み外せば、落下していくのは彼ではなく自分だからだ。これが現実ならば助からないだろう。
最後尾を歩くゆりが、空を見やった。

「そろそろ夜が明けるわ。」

深い紫紺の空が、辺りを暗闇に陥れている。夜明けがくるとは思えないほど、真夜中よりも濃い空である。声につられて空を見上げれば、はちの足下がぐらついた。ここ最近は睡眠不足で、よく眠れていなかったことを思い出した。手すりを握り、目をこすって頬を叩いた。

その空の下、屋上に鬼桐の姿はなかった。残された彼の部下は嘆く。

「僕がどうしてこんなことを」

マンドリンを持ちあげ、故障部位を認め、ポケットからスパナを取り出した。壊れた箇所を直せば自由になれる。ならばさっさと仕事を終わらせるに限る。上司の思いつきに惑わされるのはいつものことだ。ならば仕事は仕事だと割り切ってやるのがいい。
そう思っていたのだが、

「片づけするよ!」

オルガンの鍵盤を叩く少女の合図で、少年の手から楽器と仕事道具が奪われた。楽器を運ぼうと仕事を取り合うのはたった一人の子ども、ではなく、サヱとよく似た顔立ちではあるが、それぞれの存在を主張する少年少女たちであった。

「王女のために、働け。消える日まで。」

と声を掛け合う彼らに囲まれて、カコはがっくりと肩を落としたのであった。

後日、はちとしろは、喫茶室に来ていた。今朝方、大柄の男から連絡があったのだ。どうせ信じてもらえない話をするくらいなら、適当につじつまを合わせた話をした方がましだと、はちは百貨店での出来事を聞こえよく改竄…もとい、まとめて報告した。

男は、「それは大変な仕事でしたね」と、応用しがいのある、同情にも、社交辞令にもとれる相づちを打った。

「原因は突き止めた。だから、妙なことは、しばらくは起こらないっスよ。」

はちは、はったり気味に言う。男は手垢のついた、感謝の言葉を口にした。
仮に本当の事を言ったとしても、彼は信じただろうか?はちは彼の表情を観察するが、何を彼が考えているのか、さっぱり読めなかった。彼がコーヒーを飲み下したタイミングで、はちは尋ねる。

「・・・あの、一ついいっスか?」

「なんでしょうか。」

「・・・鹿々苑百貨店には、エレベータガールはいるんスか?」

男は意表を突かれたのか眼を丸くした。彼の表情の変化を見るのは、これが初めてかもしれないなと、はちは分析する。少しの間の後、男は静かに冷ややかに答えた。

「いましたよ。ずいぶん昔の話ですがね。」

「・・・相当前、っスか?」

「華やかな職で、当時は絶大な人気を誇りました。」

事情があって、今は雇っていませんが。
言いづらそうにする彼は、

「どこで、その話を聞いたのですか?」

逆に、はちへと尋ね返した。

「・・・いや、なんとなく。」

もしかして、今いても、おかしくはねぇのかなと思って。はちは珈琲を啜って語尾を濁した。

彼が安心し、同時に、どっと疲れを感じたのは、大男が珈琲代もクリームソーダ代も、報酬と共にきっちりと払ってくれてからであった。帽子を黒蝶堂から受け取った大男が先に退店してからも、はちはしばらく立つことが出来なかった。外見は綺麗になっても、中身の疲労感は緩和されていなかった。身も心も、所謂満身創痍な彼は、

――今晩からは、よく眠れるといいが。

そんなことを思いながら、しろに連れられ黒蝶堂へと戻った。


【終】

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ジャンル : 小説・文学

【小話】さえざえとした夜7【更新】

【さえざえとした夜 7】 (6はこちら

夜明け前の空を戴く世界は、静寂に包まれていた。

月も星もない、地上の光も届かない、鈍い紺色の冷気が、肌を刺す。呼吸は白く細やかな結晶となって紺に溶ける。屋上には、小さな遊具やゲーム機のあるプレイランドが設けられているが、それらはすべて、奥に追いやられて眠りに落ちている。予想していた大音量も、大勢の人の姿もない空間に拍子抜けしたはちは、白い霧が薄れ、月光が射した世界で、ある人影を認めた。

人影は、屋上の真中で座り込み、背中を丸めていた。取り巻くのは、落下防止を目的としたフェンスを押し上げる、大量の楽器類で、影を中心に大きな円を作っている。死人のごとく横たわる楽器達の合間で、スコアの山が複数の塔をなしていた。

「鹿々苑サヱ、聞こえるか。」

一歩進み出た鬼桐は、くわえ煙草のまま、中央の人影に呼びかけた。どすの効いた、相手に緊張感を与える張りつめた声だ。しかし、帽子を被った人影は応答せず、両手を手元で忙しく動かし続ける。再度、鬼桐は呼びかける。が、結果は同じで、人影は顔を上げさえもしない。鬼桐の舌打ちを、はちの耳が拾った。彼はフェンスの近くへ移動し、凶器の安全装置を外した。そのまま円の中央に照準を合わせ、引き金に指をかけた。

「おい!」

殺人事件の目撃者になるのは御免だと、はちは体を乗り出した。しかし、鬼の指は既に弾丸を発射していた。

はちは、目を瞑った。
が、破裂音はいつまでたっても響かない。

おそるおそる目を開けると、鬼桐は構えたままの体勢で、フリーズしていた。彼の両肩及び両腕に、黒い影の塊が纏わりついている。影は、彼の手から短筒を奪い取ろうと、腕を四方八方から伸ばしている。中には得物を持ち、鬼桐の首筋に当てる者もあった。ピストル片手に、動きを一時停止させられた鬼桐は、

「私は、”本者”にしか用はないっ!」

貴様たち”偽者”とじゃれあうために来たわけではない!と、夜空へ空砲を鳴らし、衝撃で妨害者達を弾き飛ばした。彼らは四肢を投げ出し、空を人形のように舞い、地に衝突し、擦れ、そして止まった。
鬼桐は鼻から息を吐き、短筒の銃口を覗いて煙の具合を確かめた。

呆気にとられたはちは、散らばった影たちを見渡した。彼らは人の形をしている。だが、彼らの間接はあり得ない方向に曲がっており、表情は無く、マネキンのように動かなくなっていた。そうだ、おそらく最初から人形だった、そうに違いない。はちは念仏のように唱え、考えに反して激しい頭痛を堪え切れず、頭を抱えてその場にへたり込んだ。

「・・・どうなってんだよ。」

「びっくりですね!」

「僕だったら死んじゃってますよ」と、しろは、はちの肩を叩いた。

「あれは人形だっての!死んだりしねぇっての!」

はちは強い口調で、自分の意思を力強く、そして脆く表明した。

「あ!」

しろは、叩く手に一層の力を込めた。

「なんだよ!」

発すると同時、横たわるマネキン達の中で、一人だけ動く者があった。最初からそこに座っていたのだろう。漏れるランプの火を残し、手元の本を閉じ、悠々とした所作で彼らに話しかけた。

赤く大きなリボンが、夜風にはためいた。

「遅かったわね。」

「な・・・!」

「ゆりちゃん!」

少女は、着物の裾を手で払った。鬼桐が手を止め、怒りで細めていた目を丸くし、彼女を凝視した。ゆりは彼の前を通り過ぎ、中央でバイオリンとビオラを持ち上げ、交互に見比べている影へ視線をやった。その背中に、鬼桐は投げる。

「ゆり嬢、神出鬼没だな。」

すると少女はわずかに口の端を上げ、

「”鬼”に称賛されるなんて、光栄だわ。」

後方の鬼桐を肩越しに見つめて、寒空に凛と澄み渡る声を操った。

「彼女は、”無幻音階のエレベェタガァル”。鹿々苑百貨店の憑者よ。」

「エレベータガール?」

しろは青い目をしばたかせる。

「美人であるがゆえに、彼女の案内するエレベータは乗車率100パーセントを越えるという?」

「それはお前の妄想の産物だろうが。だいたい、この店にエレベータガールがいたか?それに・・・」

ふいに、はちは言葉を切った。頭が混乱していた。

「・・・てめぇ、どこから現れやがった?」

声の先、切れ長の目ではちを見上げる少女は

「外階段を使ってきたわ。」

さらりと言ってのける。

「そ、とかいだん?」

その言葉に、はちは思い出す。百貨店の隅には、各階の非常口をつなぐ螺旋階段が巻かれている事を。その入り口には、小さな地蔵が置かれていた事を。それを使えば、ものの数分で屋上に辿りつけるという事を。

「貴方たちは・・・」

その格好を見れば、未来予測なんて必要ないわねと、ゆりは軽く息を吐いた。夜風が黒髪を揺らす。彼女は「それは無駄ではないわ」と、励ますでもなく淡々と言う。

「サヱと会話をするには、彼女の意識に介入しなければならないの。」

「意識に介入?」

「既に準備は出来ているから案ずることはないわ。」

「・・・準備?」

オウム返しな人間達をよそに、ゆりは澄ました顔で鬼桐に近寄り、何やら話し始めた。「相変わらず説明の足りないやつだ」と、ため息をついたはちは、彼女の着物の帯を見つめた。

そんな彼の姿を、中央の目が捉えた。

「綺麗にするよ。」

円の中央、少女は立ち上がった。手近のバイオリンを掲げる。弓を弦にそっと乗せ、彼女の瞳が黄緑色に光る。細く長い金色の睫が震え、首もとのスカーフと、ドット模様のスカートの裾が空気を吸い込んで広がる。モダンかつ近未来的な服が、飴細工のように繊細で西洋人形に等しい白い彼女の体を彩る。奏でる少女の動きに合わせ、同じくドット模様のリボンを添えた帽子がリズムを取る。
彼らは、穏やかに流れる川のようなその曲に導かれ、彼女を見やった。

彼女の演奏は、1、2分で終了した。
最初に変化を察知したのは、しろであった。

「素晴らしいですね!」

と、演奏を終えた彼女へ喝采を送っていた彼は、中途に手を止め、ぱたぱたと袖を振り、ぺたぺたと自らのズボンを落ち着き無く触り始めた。はちは「どうした?」と眉間に皺を寄せる。

「はちも、おかしいと思いませんか?」

しろは、指を顎に乗せ、唇をとがらせる。はちは何の事か解らず、自分を省みる。そこで初めて、自らにも異変が生じているのを知った。

地下から屋上まで走り抜け、口紅と埃とその他諸々に塗れ、汚れていた服が、その形跡一つ無くなっていた。指先でなぞるシャツにはきっちりとアイロンがかけられノリが効いていて、眼鏡越しに覗く、泥にまみれた靴下も、新品同様に編み目が粒をなす。普段からぼろぼろだった靴は、目映く美しく光っている。真っ赤に染まっていた掌も、指先まで風呂上がりのように輝き、はちは背中に冷や汗が流れるのを感じた。「まさか」と思いつつ、演奏者に背を向け、ベルトを緩め、おそるおそる下着を確認する。

「・・・どうなってんだ。」

真っ青になった彼の後方、サヱは、今度はバイオリンを放り、おどろおどろしい文様の刻み込まれたエレキギターと入れ替えた。それを、今度は荒々しく掻き鳴らす。すると、屋上にこぼれ落ちていた煙草の灰がつむじ風に乗って集まり、彼女の手元の透明な容器に吸い込まれた。瓶は、あっと言う間にいっぱいになり、風が栓を運んだ。ピックを激しく上下に振り、勢いをつけた彼女は、

「お店は禁煙!鹿々苑こそ、最先端だから!」

と、リボンの手袋の指を鬼桐へと突き付けた。
カコが真っ青になり、両手で顔を覆った。

鬼桐は、

「取引に応じるなら、最低限の自由は保証しよう。」

と、顔を背けた。エメラルドのように美しく冷たい色の瞳の少女は、コードを押さえては鬼を窺う。

「取引?」

鬼桐の部下であるカコが問う。鬼桐は顎を突き出し、示す。自らを指さすカコを放置し、鬼桐は言う。

「そいつを自由に使えばいい。」

貴様が楽器に執心だという事も、手入れに余念がない事も、その調弦と演奏が、街に異常を来たしている事も報告があがっている。それは、貴様以外の者が取り組めば発生しない事象だ。だが、ここにいる”偽者”たちは手を貸さない。いや、貸せないのか、私にとっては、どうでもいい。
鬼桐は静かに持論を展開する。煙草の煙を絶やすことのないままサヱを見、

「従わなければ、“偽者”を全員撃ち抜く。」

口元だけで笑った。黒い手袋をした右手が、腰のホルダーに添えられた。

「選べ、自由に。」

見つめ合う彼らに、固唾をのむはちと、キラキラと青い目を注ぐしろの間で、異議を申し立てる者が現れた。

「隊長!人身売買はよくないです!」

彼の右腕が飛んだ。彼は痛みに顔を歪めず、腕の繋がっていた箇所を押さえた。青筋をこめかみに浮かべた鬼桐は怒鳴る。

「人間嫌いにその言葉を発する権利はないっ!」

「あら、零落童子。貴方は笛の名手だと聞いているわ。」

ちょうどよいのではなくて?
ゆりが演技じみた調子で言うと、

「その名で呼ぶな!」

「第一、お前が、なんで知っている!」と、怒りに我を忘れたカコは指先に水の固まりを作り、間髪おかずに発射した。たちまち、鉄砲水が空間を切り裂いて飛ぶ。だが、彼女の姿はすでにカコの背後に移っており、水の玉は水風船が割れるように飛沫を伴って破裂した。その様をじっと見ていたサヱは

「お掃除しなくちゃ!」

今度は、三味線を手に、べんべべんべんと弾いた。すると、水は白い煙となって蒸発し、次いで吹き飛ばされた腕が曲に乗りビルの縁へ、どんどんと流されていった。カコは慌てて駆け寄り、自分の欠片を手中に収めた。

演者はカコの腕が視界から消えて充足したのか、楽器を放り、円の中央に足を向けた。屋上の出入り口とは反対側に背中を向けたため、はちの居場所からは、ちょうど彼女の手元を観察出来た。細々とした作業は、月の光を頼りに行う仕事には思えないなと、はちは目を細める。

「・・・その仕事は、昼にはできねぇのか?」

「・・・・・・」

だんまりな彼女に、はちは頬を掻く。「面倒くせぇな」と思った矢先、隣のしろが足下のトライアングルを拾って、彼女へ投げた。落下地点の彼女は、それを受け取った。銀色の棒で三角を響かせ、

「お昼は、お掃除で忙しいから。」

顔を上げて、はちに返事をした。音が止むと、琴の調弦に戻り、ついで、簡単な一節を披露した。

「やりましたよ!」

ガッツポーズをするしろに、はちは耳打ちする。

「・・・あいつ、曲がねぇと喋れねぇのか?」

自分の仮定に苦笑が零れる。
信じられねぇし、頭に響くんだが、と呆れ顔で言う。

「おもしろいですね!」

しろは喜び、彼女を興味深く見つめた。

彼らのやりとりが聞こえたのか、サヱは即座に琴から離れ、ギターに躓き、遠くのドラムまで走った。帽子を両側から引っ張り、耳を塞ぐようにして身を隠す。ギターのひずんだ残響に乗って、

「いつかは錆びて、動けなくなるんだよ。」

か細い声で、弱弱しく洩らした。距離はあるが、不思議と屋上に響き渡る声だ。眼をきょろきょろと落ち着きなく動かし、おどおどと喋った。

「・・・ここはずいぶんと静かなようだが。」

この店が、正確には、この少女が原因で、地上は混沌に陥っていると鬼桐は主張していた。だが、ここには楽器はあれど、騒がしい様子はない。むしろ、静かすぎて耳が痛いほどだ。普段は、彼女以外の者が集まっているのだろうか?先程までの重たい扉を押えつける“音圧”は、どこに霧散したのだろう。要は、わからないことばかりである。

――だから、一つずつ話を聞いてみるか。

そう決心したのであったが、

「・・・・・・」

少女は口を開かなかった。緑の瞳を伏せ、びくびくと怯えているだけだ。会話にならないなと、痛みを発症し続けている頭を押さえ、足下に転がっているタンバリンを拾い上げた。仕組みは理解に苦しむが、事情は大凡わかった。うすだいだい色の面を適当に叩いてみると、彼女は身じろぎをし、顔を赤くして、

「秘密だよ。」

と、肩を震わせた。

「見せられないことって、一つや二つあるでしょ?」

「・・・オレにプライバシーって言葉を求められてもな。」

はちは手首のスナップを効かせ、テンポよく楽器を振りつつ、眉間のしわに触れる。音楽を止めれば、彼女との会話が成り立たないと推測されるのだから、一見間抜けなザマだが、致し方ない。
しろという同居人がいるせいか、私生活には、個人情報の保護だとかプライバシーの権利だとかの言葉は疎遠である。これと言った秘密が思い浮かばない上、手元の鈴の音が思考を遮って、集中力が持たなかった。
頭を捻っていると、サヱがぼそりと呟いた。


【続】

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

説明

秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

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