『こちら黒蝶堂』


【こちら黒蝶堂】

右下に二羽の蝶が描かれた一筆書に導かれ、錆びた鍵穴を一周させると、古書と埃の入り混じる、懐かしくも息苦しい空間に迎えられた。

黒川はちの懸念は音も、間も無く薄れていった。正面に設置された椅子に座る。
入口から僅かに届く陽の光に照らされた、主を失った山積みの書物と、足元に転がる美術品もどきから用途不明の物品。それらを眺め、はちは溜息を一つ吐いた。

『黒蝶堂』とは、はちの祖父・黒川伊織が三年前まで経営していた古書店である。
遥光商店街の端に位置し、奥行きのある堂内の中央席に向かって本棚が左右に対照をなす。生前彼は『堂長』を名乗り、無秩序な古書達を統轄していた。
堂長は、黒蝶堂の最高責任者であり、独裁者であり、唯一の店員であった。
当時との差異は、彼の欠落だけに感じられた。移りゆく季節の中にありながら、堂内は時が止まっているかのように静かだ。

はちは居心地の悪さを感じ、ゆっくりと立ち上がった。鍵を上着のポケットから取り出し、左手に握った手紙を暫し見つめた後、整頓された机上に放る。
一筆書は黒蝶堂独自のもので、席の引き出しにだけ保存されている。泥棒の侵入した形跡は無かったから、恐らく性質の悪いいたずらなのだろう。
眉根が寄る。世間には暇な奴らもいるものだ。

踵を返す。

数歩歩いた時、耳をつんざく音が堂内に乱反射した。
静寂を破る突然の衝撃に、はじかれたように振り返ると、机上、珍品になりつつある古ぼけた黒電話が応答を請うていた。

はちは長年の癖で反射的に受話器を取った。

「はい、こちら黒蝶堂。」

「はちかい?私だ。黒川伊織だ。」

思考が停止し、言葉を失った。

先の堂長であり、はちの祖父でもあった、故黒川伊織が今現在電話口にいる。




「黒川伊織は三年前に他界しましたが。」

 落としそうになった受話器を支え、感情を抑える。あり得ないとは理解しているが、背中と頬を汗が伝う。その感触の悪さは妙にリアルだ。

これは白昼夢で、久々の堂内の雰囲気に中てられたのか。頬をつねるが痛い。

「だから人目を盗んで連絡しているのだよ。それとも、もうじいさんの声も忘れてしまったのかい?」

忘れるはずもない。間延びした語尾と芝居がかった口調。だが否定し続けねば、錯覚と現実の境で発狂しそうだ。 

「元気でやっているかい?」

「死人に健康を気遣われるほど、不自由はしちゃいねぇよ。」

のんきな内容に、どすの利いた声であえて冷たく返す。が、伊織の笑う気配がした。

もはや確信せざるを得ない。いつも笑みを絶やさない、彼の最大の癖だ。他人が彼の仕草をここまでコピーするのは、不可能だ。

「全く以てその通り。はち、良く戻ってきてくれたね。」


昨日届いた、宛て名も差出人名も無記入の封筒に同封された一筆書。

『明日の昼、黒蝶堂に来なさい。 伊織』

たった一文にも拘らず、笑い飛ばす度胸も、破り捨てる勇気も持てなかった。

「お前に伝える事がある。」

伊織は言葉を区切り、改まった風に咳払いをした。

「よく聞いてくれ。」

犯人を名指しする名探偵の台詞回しのようだ。
少しの間。
受話器の向こうが小さく息を吸った。先程までのおどけた口調はどこへやら、至極真面目な声音が耳に届いた。

時が、止まった。

「黒川はちを黒蝶堂堂長に任命する。」




手元から受話器がすり抜けていた事に、はちが気付いたのは、それと机上の手紙が衝突し、その勢いで手紙が宙を舞った時であった。

「な、な、なんでオレが!?」

ズキズキ痛むこめかみを抑えるが、少しも治りはしない。手紙は地に落ちた。

「お前しか頼める人がいないのだ。じゃあ、宜しくな。」

「断ると言ったら?」

「じいさんの一生の願いを叶えてくれないのか?」

「てめぇの人生は既に完結済みだろうが!」

はちが声を荒げるが、伊織は再び笑い、

「はち、小事に囚われては大事を成せず、だよ。もう時間だ。じゃあ…。」

「ちょっと待て!」

遠ざかる声に焦りを覚える。

「大丈夫だ。お前は私の孫なのだから。」

頷くさまが目に浮かぶようだ。安心感など微塵も得られない。

伊織はそうそう、と付け足した。

「分からない事はゆりに聞きなさい。仲良くするのだよ。」

「ユリ?」

「じゃあ、またな。」

ガチャン、という音と共に電話は一方的に切れた。
 
「またな、なんて。」

思わず眉間にしわが寄った。何度目かのため息が出た。

付近に録音テープらしき機械が仕掛けられていないか入念に確認し、受話器を置く。不審な点は一つとしてなかった。




「一体どうなってんだ…。」

一人になった空っぽの堂内に吐き出された本音。天井を仰ぐ。ずりおちた眼鏡をかけ直し堂内を見回す。異常なし。

「…帰るか。」

混乱する思考を整理するため、出直す事に決めた。一連の流れに消化不良を起こした胃が痛む。頭痛が一層悪化し、視界が霞んだ。

一刻も早くここを出た方がいいようだ。手紙を引き出しにしまい、足早に脱出する。





…はずだった。





全身の毛が逆立った。陽の光の元へ向かおうと振り返ったはちの足元に小さな影が映った。



 

そこには頭に大きな真赤のリボンをつけた少女が気配なく存しており、切り揃えられた黒髪の下の黒目がちの瞳がはちを捉えていた。



 

「店は休業中だ。悪いが出直してくれ。」

ひねり出した上擦る声は少女に届かなかったのか、少女は眉一つ動かさず、一言も発しない。

「まさか、迷子か?」

はちは腕を組んだ。黒蝶堂に小学生が来る事は余りない。

噂によるとここは何故かお化け屋敷と称されているらしく、時折肝試しやら罰ゲームやらで顔を覘かせる程度だ。少女も同様、客ではないだろう。

無表情に恐怖心を煽られ、こちらの肝が冷える。人形か?と思えるほど少女からは生気というものが感じられない。よく見れば日本人形を彷彿させる桃色の着物を纏っている。

最近の流行なのだろうか。

 

とにかく店を出る事が最優先事項だ。



「おい、閉めるから一緒に来い。」

少女の手を引く。異様に冷たい。血が通っているのかと疑ってしまう。

「どこに行くの?」

少女は初めて口を開いた。淡々とした、容姿不相応の落ち着いた話し方だ。

「警察だよ。親が心配する。」

「どこに帰ろうと言うの?」

「決まってんだろ。家だよ、てめぇの家。」

「その必要はないわ。」

はちは足を止め、怪訝な表情で後方を見やった。少女の目は微かに細まり、唇が綺麗な三日月を描いた。



 

「黒川はち、おかえりなさい。」



 

 「どうしてオレの名前を知ってんだ?てめぇは誰だ?」

記憶に無い少女は

「名を問う時は自ら名乗れと、伊織さんから教わらなかったの?」

呆れた、と付け足した。

「それに、察しのいい人はもう勘付いているわよ?」

はちは辺りを見回した。少女と自分以外誰もいない。

少女は口元をゆがめ、頭を指した。どういう事だ?少女が口を開いた。

「仕方ないから教えてあげるわ。私はゆり。黒蝶堂の憑者よ。」

「ツキモノ?」

「憑依の憑に使者の者。私の存在を意味する言葉。」

少女は腕を組み、はちを貫く視線で言い切った。

「馬鹿らしい。大人をおちょくるもんじゃねぇぞ。」

今日は厄日か。事情は不明だが、恐らく自分に課した設定を主張したいのだろう。漫画やテレビの影響か。

子どもがごっこ遊びに熱狂するのはいつの時代も変わらないのだな、と、はちは少女の目線の高さにしゃがみこんだ。

「あいにくオレは遊びに付きあえるほど暇じゃねぇんだよ。それにガキは外で遊べ。」

すると少女はワンテンポ遅れで

「わかったわ。表まで見送って頂戴。」

我侭を言うかと思えば、あっさり了承した。



少女の前を歩くのは両サイドに本棚という名の壁がそびえ、人一人通るのがやっとの幅であるからだ。正面に見えるガラスの引き戸まではほんの七、八歩。

目を瞑っても渡れる距離だ。



だがどうした事か、その間隔は一向に縮まらない。どころか離れているような気さえする。遂には息が切れ、その場に座り込んでしまった。



「どうかしたの?早く外に出たいのでしょう?」 

少女は背後で不敵な笑みを浮かべ、呟いた。



振り返ると、少女の頭上には無数の書物が表裏紙を翼に羽ばたいていた。呆気にとられるはちを余所に、それらは少女の指に応じて、群を成し、はちを襲った。



はちは駆け出した。今日店に来た事を激しく後悔しながら。
過去に見たホラー映画が蘇る。

突如怪奇現象に苛まれ、女の子の霊に追われた主人公の男。目先の扉は何故か鍵がかかり、女の子の小さな手が、泣き叫ぶ男の首筋に…。


ガラス戸が引けるか否かは不分明だった。はちが引き戸に手を伸ばし触れる寸前、書物の群れが一斉に扉を覆ったのだ。ガラスが軋み、悲鳴を上げる。

完全に外の世界と切り離された。

「オレはあの情けない男とは違う!」

自身を奮い立たせるがごとく叫ぶと、素早く少女の脇を通り抜け、中央の机へ転がった。黒電話を颯爽ととり、ダイヤルを回す。

少女がリボンを揺らし、ゆっくり近づいてきた。

 

「助けを呼ぶの?」

「警察にな!」

「家から出られないとでも?」

「背に腹は代えられねぇよ!」

語気を荒げ、はちは受話器を耳にあてた。



が、届く無音。待てども、うんともすんとも発しない。遅い。こんな緩慢な対応で国民の安全とやらが守れるのかよ、と毒づく。

リダイヤルを重ねるが、応答どころか、待機中の音すらない。

少女が指を突き出した。イライラを隠せぬまま見やると、その先には電話の後部より繋がるコードが伸びていた。惰性で辿っていく。と、それは床上で二つに分断されていた。



「三年前、この子の命を絶ったのは他でもないはち、あなたでしょう?」

女の指に絡められた鋏が、刃を光らせた。

脳裏によぎるワンシーン。その後、主人公は荒波激しい海の浜辺で発見された。首だけの無残な姿になって。

傍には血痕に塗れた凶器。笑う口元が奏でる喜びの歌がエンドロールとして流れた。

「希望は有るかしら?手順だけは、要望に添うわ。」



少女の目と刃が呼応して鋭く光り、口元が綺麗な三日月を描いた。


はちの意識はそこで途切れた。







口内への不法侵入者に、覚醒は突然訪れた。液体を噴出し、涙目で傍の男を睨みつける。

コップ片手に座るのは案の定、氷山しろだ。

「溺れるとこだったろうが!」

握りこぶしにしろは少しもひるまず、悪びれる風も無いまま

「おはようございます。寝起きに怒ると、血圧上がりますよ。」

「誰のせいだ、誰の。」

名の示す通りの白髪が首を傾げると同時に揺れた。

「随分うなされれてましたけど?」

「そうだ!しろ、一体どこから夢なのか教えてくれ。」

しろは青い瞳を丸くし、すぐに笑った。

 

「落ち着いてください。怖い事は一つもありません。」

差しだされたタオルで顔を拭う。

そうだ、最初から全て夢だったのだ。時折やけに真実めいた夢を見る事は誰にでもあるだろうに、何を取り乱しているんだ。



胸を撫で下ろし、はちが顔をあげた瞬間、赤いリボンが視界の端に映った。はちの口元が引き攣った。そこで初めて、ここが黒蝶堂二階の居住スペースだと気がついた。 

「顔色悪いですよ?」

「お前はあのガキを知ってるか?」 

視線の先をしろは一瞥すると 

「ええゆりちゃんでしょう?黒蝶堂の憑者さんらしいですね。」

至極当然のように言い放ち、笑顔で手を振った。はちは愕然とし

「手を振るな!凶暴だぞ。」訴えた。

「何言ってるんですか、可愛い子ですよ。」



騒ぐ二人を横に、部屋の隅からはちの布団へゆりが歩いてきた。はちは後ずさる。腰が抜け、立てない。



「堂長。」


畳の上でゆりは正座をした。しろとゆりの無言の圧力に気圧され、はちはしぶしぶ

「なんだよ。」

ふてぶてしく返事をした。

「よく聞いて頂戴。私たち憑者には堂長が必要なの。そして、あなたたち人間にも。」

「意味がわかんねぇ。」

ゆりはじっとはちを見つめた後、目を伏せた。長い睫毛が震えた。 

「さっきのは冗談よ。百聞は一見に如かずと言うでしょう?」 

「はち、何があったんですか?」

喜々として問うしろをそのままに、はちは眉間にしわを刻んだ。 



「この店はじいさんの道楽の延長だろう?  千歩譲って、てめぇが憑者とかいう存在だとするなら、なおさらオレは継がねぇよ。」

自らに油をかけ、火に飛び込むようなものだ。 

「伊織さんの思いを踏み躙るつもりなの?」

「うっ…。」そう言われると、反論の術は無い。揺らぎの色が表れた。 



「やってみたらいいじゃないですか。」

しろはにこにこ笑い、人差し指を立て提案した。



「僕も協力しますから。」

 それでも渋るはちの思いを読み取ったのか、

「それとも、怖いのかしら?」

少女の顔で、ゆりは挑発した。

「なわけねぇだろ。」

とは言っても、冷汗は隠せない。 

「なら、決まりね。」

ゆりは強引にまとめ、小さな手を差し出した。 

 

「黒蝶堂を再開するわよ。しろは副長として、はちを補佐して頂戴。」

「不束者ですが、宜しくお願いします。」

「こちらこそ。」

両者が握手を交わしたが、はちは気難しい顔を崩さないまま布団に座っている。

「おい、憑者に堂長が必要ってどういう事だよ?」

流れる時間に棹差す思いで問えば、 

「直にわかるわ。でも、案ずる必要はないの。」

大きなリボンが揺れた。 

「堂長は自分に嘘をつく事無く、進めばいいだけよ。」

「よくわかんねぇ。」

愚痴りながらも眼鏡をかけ直し、差しだされた手を握った。

腹を括るしかないようだ。不思議な事に掌は温かかった。



「宜しくして頂戴ね。はち堂長。」



【はじまり・終】

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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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説明

秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

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