【しんごうの話】

【しんごうの話】

「何を描いてるの?」

黒蝶堂の屋上には、昨夜より降り続いた雪が東の空に昇り始めた朝日に照らされ、一面の銀世界を輝かせている。
白い地上をサクサクと踏みしめ歩くは、分厚い本を脇に抱えた少女。
屋上の端、洗濯物干が置かれた場所より少々離れた地点。
雪で染め上げたような白い髪を、深紺のリボンで結った後ろ姿が少女の瞳に映っていた。

「あれ、ゆりちゃん。早いですね。」

振り返った白い青年、氷山しろ。左手に握っていた絵筆をくるりと手元で一回転。
その反動で、筆先に塗られた青色が宙を舞い、足元の雪をじわりと濡らした。

「あなたこそ。」

にこにこという擬音が周囲に浮かぶ青年の隣に歩を進める、無表情の少女。
切り揃えられた黒髪に白い肌。
人間サイズの日本人形が自立歩行の力を手に入れたかのごとく、彼女からは生気が発せられていない。


「早くに目が醒めてしまって。朝食の準備も済んでしまいまして、絵の続きでも描こうかなと思いまして。」

「風景画かしら?」

「えぇ。」

首から下げた紐に繋がるがばんの上。しろが描く風景が、学習机一枚分程度のスペースに広がっている。
青い空を背負った新緑の美しい山並みに、雪の降り積もったのどかな田舎町の昼下がり、と言ったところか。
下方に走る灰色の一本道には、一台の車も人影も無い。

「どうして?」

ゆりはその絵をしげしげと眺めた後、着物の袖口から覗く小さな右手の人差し指を絵と触れるか触れないかの位置で止めた。
そこには、他の世界とこの田舎町とを繋ぐ始まりとなる交差点。

古びた一台の信号機が存している。

「どうして…ですか?」キョトンとした表情を浮かべるしろ。

「どうして、こんな車も、自転車すらすれ違いそうにない辺鄙な場所に、信号機があるの?」

少女は面倒くさがる風も無く、省略箇所を補ってもう一度問うた。

青年は、ぽんと手を打った。

「実はですね、昔、こんなことがありまして――」

しろが語り始めた話の舞台は小学校。
交通安全教室と銘打った授業中。

――事件は起きた。



『どうみても、緑色だ。』

『はち君、あれは”青”なのよ。』

『いや、違う。』

断固として、その場を動こうとしない眼鏡の少年。
その隣で困惑する女性警官。
更に、その隣の隣で苦笑いを浮かべる担任の教員。

『信号が青になったら渡りましょう。』

それほど広くないごく普通の運動場。端に設けられた、疑似的な横断歩道とミニチュアの信号機。
低学年の子供たちが整列して座り、普段とは違う授業形態の雰囲気に、期待と不安の顔を顕にしている。
若い女性警官の指示の元、一列目の生徒たちが立つ。
おもちゃの信号機が、赤から青に点灯を変える。
黄色い旗を傍らに、彼女が生徒達を誘導する。
生徒たちは元気よく耳横に手を当て、天へと突きあげた。
渡る前に右、左、もう一度右を見て、との指令通り、彼らは大げさなほど顔を左右に振って来るはずの無い車を確認する。

しろはそのミッションを難なく終え、体育座りをして他のクラスメイト達をぼんやりと見ていた。

そんな時。
一列になった生徒の中でたった一人、信号が青になったにも関わらず、他の輪を乱して留まる人間がいた。



話は戻る。
しろの隣に立っていた担任が彼女と少年の元へ、重たい足取りで近寄っていく。

『信号が青だと言い張る限り、オレはここを動かねぇからな!』

彼の声は、少々離れたしろの位置にまで届いて来た。
その少年こそが、当時しろと同クラスの黒川はちであった。

彼の主張はこうだ。

――あれはどう見ても青では無い。緑色である。だから、青になって渡るのであれば、緑である限り横断は不可能である、と。

今では電光の技術が発展して信号の”青”は青に見えるが、十数年前には未だ、緑色で代替されていた。

「彼は警察と教育者を相手に、徹底抗戦を計ったんです。」

「徹底”口”戦でもあったわけね。」

ゆりの相槌である掛け言葉に気付かず、しろは首を傾げた。
考え込んでしまう前に、ゆりはそれで?と先を促す。

「先生は本当に困惑していましたよ。なにせ10m程度歩けばそれで済む、なんら障害の無い授業内容でしたから、まさか拒否する子が出るとは思っていなかったでしょう。」

しろはくすりと思い出し笑いを浮かべる。

「今なら面白話として冗談交じりに話せます。でも、当時はぼくも、はちも子どもでした。」

「あなたはどう思っていたの?」

ゆりから吐かれた空気が白く濁る。
しろはそうですね…と腕を組み、

「変な奴ですねと思いましたね。一生道路を渡らないで生活するつもりなんでしょうか?って、ちょっとだけ小馬鹿にしていました。」

悪戯小僧の様に、てへへと笑った。



それから授業の終わりのチャイムが鳴り、生徒たちは先に教室へ戻るよう指示が出された。
しろもクラスメイトと同じく、立ちあがって教室へと足を向けた。

「その途中で、先生の問う声が聞こえて。ぼくはつい、足を止めてしまいました。」

少々棘のある口調で、担任の教員は早口でこう言った。

『なら、はち君はいつ道路を横断するのかな?今まで渡った事がないわけではないよね?』


「そしたらですね、はちは平然と答えたんです。」


『そんなもん、車が来てねぇ時に決まってんだろうが。オレは自分の目を信じてるんだ。じいちゃんからいつも言われてるからな!』

警察官と教員は顔を見合わせた。何がここまで彼の決意を固めさせるのだろうか。
鼻を鳴らす少年は、信号に向かってびしりと指を突き付ける。

『少なくとも緑を青と言い張る様な奴の合図だけで、さぁ進めと背を押されても、オレは絶対踏みとどまってやるんだからな!』




しろとゆり。両者の間を、一時の空白が通り過ぎた。

「…生意気な上に意固地だなんて、つける薬も見当たらないわ。緑を青と表現するのは単なる概念の問題でしょうに。」

しろはこくりと頷いた。

「その日の放課後に黒川家の人、おそらく伊織おじいちゃんが呼び出されていました。長時間の話合いもとい御説教が行われたようです。」

「伊織さんの事だから説教なんて、のらりくらりとかわしたでしょうね。」

ゆりは微かに笑う。
しろは続ける。

「はちは教室に戻ってきてからも、機嫌が悪そうでしたけど、次の日には、普段と同じ様子だったようです。」

足元で眠るかつて少年だったはち。
彼の預かり知らぬところで、彼の過去は暴露されていく。

「いつ事故に遭ってもおかしくないわね。しろ、よくよく見ていて頂戴。」

「大丈夫ですよ。今は”青”が”青”で表現されてますからね。」

パレットに置かれた濃淡の様々な青色と緑色。
それを混ぜ合わせ、しろは自分の絵内、信号機に青緑色を描き入れた。

「はちは今でも、自分の目を信じてるみたいです。やっぱり、人間って根本は変わらないんですね。」


【終】



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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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説明

秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

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