【小話】『てんか』ら『の』た『まわりもの』【更新】

【『てんか』ら『の』た『まわりもの』】

「医学の本も置いてるかね?」

「少しはありますよ」

開け放たれた黒蝶堂の扉を叩いた男は、周囲に乱立する背の高い本棚には目もくれず、堂長席を真正面に見据えて問うた。声のしゃがれ具合と顔に深く刻まれた皺から察するに、歳のころは六十代半ばから後半といったところかと、はちは返事をしながら、目でいい加減に推測する。だが、背筋は針金を入れているかのごとくピンと伸び、日に焼けた肌と彫りの深い顔立ちは、小柄な彼から発せられる自信と威信の顕れのようで、彼が近寄るごとに、本当の年齢なぞは見た目じゃわからんもんだなと、はちは持っていた万年筆を置いて、医療関係の書物をまとめた一角をゆび指した。
男が大股で歩いていく後ろ姿を見送って数分後。しんと静まり返った黒蝶堂に、男の弾んだ声が響いた。

「違う違う。」

手に三冊の学術書を携え、彼は微笑みをたたえたまま堂長席前へと戻ってきた。「とりあえず、これをもらおうか」と言うので、埃を被ったレジスターで精算する。いずれも長ったらしいカタカナの医学用語がタイトルにある、ずいぶんと古い本である。手持ちの袋にそれらを入れた彼ではあったが、帰る素振りは見せず、再度、席に寄ってきた。
そして、聞き取れる限界の声量で言った。

「この店、魔術本とかありそうな雰囲気じゃねぇの。」

「ま・・・まじゅつぼん?」

唐突かつ想像だだにしていなかった質問に、はちは咳込み、じいと彼を見る。

そ。医者は嫌いなんだよ。

彼は続ける。

「”治る治る”とは言うくせに、いつまで経っても”治す”とは言わない。」

「・・・はぁ」

「だったら、独学で治してやろうと思ってな」

だが、いまさら一から勉強してたんじゃ間に合わない。彼は、はちに背を向けて天井を仰ぎ、

「そういうのに頼らねぇと、もう、な。」

ガタがきてるんだよ、色々と。淡い色の蛍光灯に手をかざして、横顔で笑って見せた。

「・・・そうっスか」

「頼りたくなるってもんよ」

「頼るって・・・」

呪文とか唱えるんスか?はちは思いつく限りの精一杯の冗談を言いかけて、口をつぐんだ。彼の口角は軽口を叩く時のように上がっているが、両の目は感情を全く浮かべることなく、静かに天井を見上げているだけであることに気がついたからであった。

「お前さんはまだ若いから、傷なんてなめときゃ治るだろうが。」

いいね、若さというのは。向けられたどうしようもない羨望に、はちは曖昧な返事すらできずに口ごもる。

「その割には、実年令より随分老成して見える。」

「・・・はぁ」

ところで、これは提案なんだが。
身を翻し、堂長席に手を突いた彼は、片側の眉を器用に引き上げて、

「その持て余している若さ、売っちゃあくれんかね?」

「・・・はい?」

堂長へと、珍妙な商談を持ちかけた。

「少しくらい、いいだろう。」

「・・・正気っスか?」

「もちろんだ。」

「・・・冗談だろ?」

冗談じゃあない。

「だって、俺が魔術師だからな。」

さらりと告白する彼に、はちは頬杖をついて「馬鹿馬鹿しい」反射的に飛び出ようとした言葉を、またもやすんでのところで飲み込んだ。彼のギラギラと輝きだした瞳と体全体から発せられているような熱気に押し込められ、代わりの応答が全て封じ込められてしまったからである。そして、口が金縛りにあったかのように、半開きの状態で固まってしまった。

「金はいくらでもあるんだ。」若い頃、なかなか稼ぎがよかったものでねと、彼は、懐から紙の束を取り出す。

はちの目が、見事に泳いだ。

堂長席に積まれたのは、札束の山。彼はぺらぺらとその内の一つを無造作にめくり、告げる。「全部、万札だ」悪い話じゃないだろうと、更に一歩、はちに詰め寄った。依然として言葉を失ったままのはちは、必死に首を振ろうとする。が、首筋を力強いなにかで押さえつけられているような感覚に、それすら叶わない。

「これでも、駄目かね?」

彼の瞳が白と黒に点滅している。頬の裏側の細胞を少しもらうだけでいいんだと、より一歩、間隔を潰す。それでも、うんともすんとも言わない――言えない状況に陥っているはちは、唇が乾くのを感じた。

それからしばしの沈黙が空間を支配し、

――先に動いたのは、客人であった。

「さぁ、よこせ!」

数分前まで微笑んでいたはずの彼は、煮えきらない若者に血相を変えて飛びかかった。札束の山を乱暴に床へと払い落とし、はちの襟刳りを掴む。はちは顔を歪め、ただただ体を椅子から離さないよう、じっと踏ん張る。しかし、恐ろしいほどの怪力と、ぎらぎらと輝く目がはちを捕らえ、体が宙に浮きかけた時――

客人は、「うっ」と詰まった声を漏らし、後方へと倒れた。突然の圧力からの解放に、反動で椅子ごと転倒したはちは肩を強かに打ちつけた。「痛ぇ・・・」言葉を反射的に発し、開いた目で客人の足裏を発見して、とっさに彼から離れる。よくよく見れば、気を失った彼のみぞおちに、ハードカバーサイズの分厚い書物がめりこんでいた。

これは、誰の仕業か。
はちは棚の上を見上げる。案の定、そこに座っていた少女と目を合わせた。

「路地裏に、捨ておいて頂戴」

当初より眼下の様子を観察していた少女は、涼しいを通り越して冷たい瞳ではちへと言い放った。右手の人差し指をくるりと回転させれば、男を襲った書物ががたがたと震え出し、ページを羽のごとく広げてはちの手元へと納まった。

「・・・大丈夫か、こいつ?」

はちは書物の背表紙を叩き、堅さを確認すると、哀れむような目で客人を見た。次いで、おもて表紙を見てみれば、そこには数学記号のような、ロシア語のような、カタカナの変形語のような、今までに見たことのない言語――強いて言うならば、子供の落書きのような文字が羅列されていた。ぺらりとめくると、そこには怪しげな魔法陣のイラストと、これまた英語でもラテン語でもない注釈がついているページがあった。

「・・・おい、この本は?」

燻した香草の上で放置されていたかのような、むわっと漂う匂いにページを閉じる。見覚えのない書物に、はちが棚を見上げると、少女は、

「目が覚めたら、探していた魔術書を握っていただなんて、天からの賜り物だと泣いて喜ぶわ。」

淡々とこれから先の未来を予測し、堂長に報告する。

「・・・馬鹿馬鹿しい」

はちは肩をすくめ、しゃがみこんで、男の顔をのぞき込んだ。右頬の一部が変色し、塗装の剥げた外壁のようにヒビが入っている。はちは自らの頬を撫で、同時に抓ると、ため息一つついて、彼からついと目をそらした。

少女・ゆりはふと尋ねかける。

「貴方、もしや金銭に目が眩んだのかしら」

「・・・そんなこと、あるわけねぇだろ」

第一、年齢を分配するなんざ、できるわけねぇ。

冷静を装うはちであるが、「一瞬たりとて、心が動きそうにならなかったか?」と問われれば、「そんなはずはない」と答えるしかない。少しの逡巡は、わずかにだがあったのかもしれないと、自分に問いかける始末である。

内心は瞬間的に迷ったかもしれないが、結果的には自分の常識でその誘惑を断ち切った――そう結論づけたはちは、彼の手提げ袋に散らばった札束を押し込み始める。が、触ったことのない大金に指先が震えるのを感じた。そして、客人を店の脇に引きずり行き、彼の隣に、”魔術本”とやらを置いてみたのであった。



【了】


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説明

秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

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