【小話】灰色の径(こみち)【更新】

【灰色の径】

少女と初めて出会ったのは、ひどく晴れた昼下がりだ。

そう信じて、疑わなかった。

結婚して45年。長年連れ添った妻が体調を崩したのが、ついこの間のようだ。台所で倒れ、病院に運ばれたのをきっかけに、それまで病気知らずだった彼女は、事あるごとに医者の世話になるようになった。薬の量が増え、ハツラツとした性格の彼女が、ささいなことで弱音を吐いた時、私は大人げなくも、気が動転してしまった。彼女が口にした内容は思い出せない。私には、彼女を励ます言葉を掛けることなど到底出来ず、自分の不安を払拭するがために、弱気な彼女に対して空回りする気休めを言ったり、最後には怒鳴り散らしたりさえしていた。

それから、妻との会話が妙にぎこちなくなり、お互いの口数も少なくなっていった。

ある晴れた日の事だ。和室の縁側に置いた肘掛け椅子に、妻は座っていた。彼女の一日に占める睡眠の時間は日に日に増加していたから、その時も眠っているのだろうと思っていた。だが、そうではなかった。彼女の視線は、中庭に向けられていた。掃除機をかけていた私は手を休めることなく、彼女の視線を追った。
一瞬のことだった。中庭の池の近くで、着物姿の少女が佇んでいた。彼女は、妻へ手を振っていた・・・ように見えた。

私は掛けていた眼鏡を右手で支え直し、目を凝らした。しかし次の時には、少女の姿は消えていた。見間違いかと、私は深く考えず、妻の足下に掃除機をかけた。妻の目は依然として中庭に向けられていたのに気づいていたが、私は目を伏せ、無言で部屋を後にした。

それから、妻との会話の内容に、食い違いがたびたび出てくるようになった。

あれは雨の日だった。自宅で意識を失った妻が病院に運ばれ、ありとあらゆるチューブでベッドに縛り付けられ始めて随分経った頃のことだ。長引く付き添い生活に肉体的にも精神的にも疲れていた私は、一時、自宅に帰ることにした。幸い、私たちには子どもがおり、彼らに母親の面倒を看てもらえるよう頼めたからだ。彼らも賛成してくれ、彼女の着替えを取りに行くという名目で、私は久方ぶりに自宅へ帰った。肘掛け椅子から買い換えた電動ベッドの置かれた和室に足を運んだとき、私はふと中庭を見た。

私は、見てしまった。
中庭の池の畔に、着物姿の少女がしゃがみこんでいた。こちらには背を向けており、信じられないことに、少女の背中には2本の卒塔婆らしきものがくくりつけられていた。私は、頭にかっと血が昇るのを感じた。

「この死神が!私の妻から離れろ!」

正気ならば、あんなことはしなかっただろう。彼女の体調が優れなくなったのと、少女が現れ始めた時期が偶然にも重なっていただけなのだと、自分を納得させられただろう。だが、その時の私は、ふつうではなかった。発作的に窓を開け、片づけていなかった妻の陶器製のマグカップを手に取り、あろうことか”死神”などという非現実的な言葉を叫んで、彼女に向かってそれを投げつけた。一直線に飛んだそれは、振り返った彼女の顔に直撃した。カップが庭石に落ちて割れた。彼女の額から、赤い血が一筋流れた。彼女と目があった。私は、立っていることが出来ず、その場にヘたりこんだ。指先が震え、体中から水分が蒸発し、唇が乾いて、喉の奥が熱く焼けていた。わけもわからず、頭をかきむしった。

その時、胸ポケットに入れていた携帯電話が鳴っていたことに気が付いた。

電話をとり、すぐに落とした。その時の私は落としたことにも気づかず、車に飛び乗っていた。運転中も、私は、私を責め続けた。この結果は、私が”彼女”を傷つけたから起こったのだ。あろうことか”死神”に刃を向けたのだ。

病院で、妻は眠っていた。
私は、間に合わなかった。彼女が戦っている時間に。
子どもは泣きはらした目で病室を出ていき、私は月光降り注ぐ窓際で、彼女の横顔を眺めた。掛け布団がゆっくりと上下していることを目で見て、私は彼女の手を取り、そして、泣いた。

翌朝。ベッドの傍らで眠りに落ちてしまっていた私は、妻に起こされた。朝陽に照らされた彼女が、とても健康そうに見えたから、私は本当に驚いた。そしてその日を境にした彼女の回復ぶりは、医者すら舌を巻くほどであった。いつかのようにハツラツと会話を交わし、病院食の味付けに文句を付け、この部屋はお金が高いんでしょうと言って、大部屋への移動をしたいと子どものように駄々をこねた。

「私のこと、気でも狂ったのか、って思ったでしょう?」

明日から自宅療養でもいいでしょうとの許しが出た日の夕方、彼女はふと、退院の準備をしている私に問うた。その頃、私は彼女との、昔のような時間を取り戻していた。日常に戻れると思った矢先の彼女の発言に、私は「え?」と、心当たりに蓋をして聞き返していた。正直、忘れたい記憶でもあった。だが、「私ね」彼女は、楽しげに語り出した。彼女が切り出したのは、もちろん、庭に来た少女の話だった。彼女との交流はいつからか始まったもので、私の居ないときにふらりと現れては、色々と話して、帰っていくということだった。「特にね」貴方の話をすると、彼女は喜んだの、と続けた。「・・・そうだったんだな」と、私は言った。

私の心は、懺悔の気持ちで張り裂けそうであった。

それから私たちは、退院の日を迎えた。
「明日は、貴方に彼女を紹介するわ」と、退院祝いの夕食の御馳走をたらふく食べ、子どもや孫たちに囲まれて満足げであった妻は目を爛々と輝かせ、和室のベッドの隣に布団を敷いた私に笑いかけた。

あの夜のことは、今でもはっきりと思い出せる。

それきり、彼女は二度と、目を覚まさなかった。



細い砂利道の上で、私は目を覚ました。長い夢を見ていたようだ。上体を起こし、はて、なぜこんなところで眠っていたのかと首を傾げる。空には月が高く、辺りには白い霧のような靄のような、よくはわからない何かが滞留していて、視界が悪い。と、「よく眠っていたな」確かに退屈な風景かもしれないんだぞと、私のすぐ隣でうごめく黒い影が言葉を放った。少年のような少女のような中性的な声の持ち主は、どうやら私に対して話しかけているようであるが、いかんせん辺りは白く濁っており、その上、眼鏡を失っている私は、その姿が把握できないでいた。

私は立ち上がり、声の主が歩き始めたのを気配で感じると、その後ろについていくことにした。理由はよくわからないが、そうすべきだと強く感じる何かがあったからだ。

手首を見るも、普段、肌身離さず身につけている腕時計を忘れてきたようで、シミだらけのそこには、日焼けした痕があるだけだ。どのくらい歩いた頃だろうか。私の心に、過去の出来事が去来していた。それは自分の誕生までを遡るように、時に映像で、ときに静止画で次々と浮かんできては消えていく。

「さあ、もうすぐだぞ」案内人は、目を覚ましても夢うつつな私に告げる。

月が陰ったとき、私は、足を止めた。

信じられないことだが、生まれるよりも前の記憶が、私の脳味噌の奥底から覗いていることに気づいてしまったからだ。古びたランドセルの底敷から、これまた懐かしい、収集していた切手の一部が挟まっており、それをそろりと指でつまみあげるような感覚に似ていた。

私は、”そこ”にも居た。

昔の私は、まっすぐに砂利道を歩いている。姿はよく見えないが、私は、あれが私だと確信していた。月の照らす美しい砂利道を、ひたすらまっすぐに歩いている。そして、隣に居る少女に話しかけている。これは私の意識の中なのだから、当然向こうの私は、こちらの私を認識してはいないようだ。だが、両者の声ははっきりと聞き取れる。

私は言っている。

「この世で一番苦しいのは、最愛の人たちと死に別れることだ」

「ここは、この世でもあの世でもないんだぞ」

全てを悟りきったような目の私の傍で、両肩付近に人魂を漂わせ、卒塔婆を2本背負った少女は、あっけらかんと答えている。

「だから、もし君が覚えていたら」

「あたしが、覚えていたら?」

それから、来世というものがあるならばと、私は小声で続けたはずだ。そして、

「「僕が最愛の人と離れる時、僕の近くにいてほしい」」

今の私の言葉は、昔の私とシンクロした。

「近くにいれば、いいんだな?」少女は目を丸くする。

「それだけで、どれだけ心強いか」私はじっと、彼女を見た。

「わかった。覚えていたらな」少女はからりと笑った。

私の記憶は、そこで途切れた。はっと気づけば、先を歩く道案内人が、振り返って私を見ていた。少女のかたちをした彼女は、昔と変わらず、そこで私を待っている。額に大きな絆創膏を貼った彼女が、不思議そうにこちらを見ていた。私は走り、少女の隣で、土下座をしていた。少女はなおさら目を丸くしたが、咳払いを一つすると、道の先を指さした。

「ここから先は、自分の足で行ってもらうんだぞ」

「わかった」

「決して振り返るな。後戻りすれば、この道に閉じこめられる」

「わかった」

この小さな少女は、私をここまで連れてきてくれたのだ。私がこの世に生を受けて、再度、黄泉の道を歩く今日まで、私をどこからか、見ていてくれたのだろう。根拠はないが、私はそうだと確信していた。

「最後に、あたしは”死神”ではないんだぞ」

私が神妙な面持ちで頷くと、彼女は鋭い犬歯を見せて笑い、踵を返しそうになった。だが、大人げない私は彼女の着物の袖を引き、往生際の悪いことに言葉を紡いでいた。

「もし、来世があって、そこでまた君に会えたなら」

彼女の顔色を窺う余裕などなかった。

「私が生きているうちに、君に、ありがとうと言いたい」

言葉をうまく選べない私に、少女は目を細め、「それは、お前のがんばり次第だぞ」と、指をビシリと突きつけてきた。そうかもしれないなと思った私からは、自然と笑みがこぼれていた。



「・・・その傷は、どうしたんだ?」

「また、はちはそんなデリケートな話題を躊躇なく!」

よく晴れた、昼下がりの黒蝶堂。縁側では、ツインテールの少女が饅頭を頬張り、茶をすすっていた。彼女の隣には、大きな書物を膝に広げる少女・ゆりの姿がある。ゆりは目で黙々と文字を追い、堂長たちの話には口を挟んでこない。

「これは、まぁ、ちょっとした事情があってだな」

ツインテールの少女・・・深見ヶ原墓地の憑者である牡丹にしては、歯切れの悪い回答である。急須を傾けるしろは、「消毒液を準備しましょうか!とびきり効果のあるやつを!」と息巻いて奥間に消え、一方、中庭の草むしりの途中で休憩をきめているはちは、「・・・どこら辺がデリケートなんだ?」と、牡丹本人に問う始末である。
軍手に再度、指を通し始めているはちを傍目に、

「次回は、湯呑みの飛んでくる時刻と場所を予測してあげてもいいわ。」

ゆりがぽつりと告げる。
事情を説明した覚えのない牡丹は、

「な、なぜそれを知っているんだ!?」

と、大げさに仰け反った。ゆりは「傷の位置と大きさで、たいていの予測はつくわ」と答え、「図星を指された貴方の顔がみえたから」と、自らの予知能力について簡単に解説を加えた。対する牡丹は、「よくわからないんだぞ」と言いながら、絆創膏の上から、額の傷を右手でさすった。


【了】

スポンサーサイト

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

説明

秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

メニュー
twitter
    更新情報配信中