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【小話】さえざえとした夜 5【更新】

【さえざえとした夜 5】 (4はこちら

稼働していないエスカレータを、徒歩で歩む。電源が切られ、センサーも無反応で動かないと頭でわかっていても、足が必要以上に前へと伸びてしまうはちである。だから、肩を掴まれ後方へ引き倒されれば、体勢は容易く崩れた。

「なにするんだ!」

踏み外した結果、狭い板の上にしろと並んだ。動悸の激しくなったはちに対し、しろは白い頭を左右に揺らし、深刻な面持ちで告ぐ。

「このエスカレータ、長いと思いませんか?」

「・・・もう、なにがなんなんだよ、この店は!」

はちは頭をかきむしった。
しかし、彼らは間も無く4階へ到達した。しろは、

「長かったように感じただけでした。」

と、舌を出した。

「・・・ハサミを持ってくればよかったな。」

半ば本心で、彼に聞こえるように呟くはちは、背負うリュックサックを前にし、中身を検めた。指に触れた物を引き上げる。すると、腕の長さほどの巨大なピンセットを掴んでいた。指が自分の意志とは反して勝手に、かちかちと先端を噛み合わせる。止めることができず、はちは左手で右の手首を握りしめ、ピンセットを振り切って引き剥がした。高音の落下音がフロアに乱反射する。未来予測の少女が、命令口調で鞄を渡してきたシーンがフラッシュバックして、音の収束とともに霧散した。

この階には、台所用品や花、文房具等を雑多に取り扱う店舗が複数あったはずなのだが。はちは、がらんどうのフロアを、目を細めて見渡す。各専門店同士の区切りは存在せず、白く太い柱が天井を支えているのがうっすらとわかるのみだ。

「ここには、なにもない。」

声は空耳だったろうか、はちは耳を触る。できればこれ以上、面倒な奴の相手はしたくないのだがと、表情を曇らせる。と、彼の耳がカラカラと小型の水車が回るに似た音を拾った。聞こえ出したと思った時、広い壁に映像が投影された。着物の母親が風呂敷片手、子どもの手を引く前を、洋装の夫婦が馬車に乗って通り過ぎる。明度の低い薄暗いベージュと黒と白からなる映像は早送りのごとく再生される。ちょんまげを結った子どもに、着流しの男性、自転車に乗った女学生に、洒落た杖をついた老人が次々に映し出されてはシーンが切り替わる。カラフルな色も音もなく、カメラを気にする者は一人としていない。

「懐かしいですね。」

「・・・何歳だっての。」

突然始まった上映会に招待された彼らは、その映像に見入った。数分後、映像の縁がよどみ始め、黒いマーブル模様の軌道に乗って走るいびつな亀裂が、人々や風景を侵食し、あっという間に画面に広がり、黒い世界になって上映会は強制的に終焉を迎えた。彼らは再度、暗がりに取り残された。が、すぐに衣擦れの音がして、彼らの前に天井からのスポットライトが照射された。

「無へはどんな言葉も無力で、無は覆せないと知れば、事象を畏れ、目を伏せ、日常への侵入を拒む。祈り、心を守ろうとする。だがしかし、なくなるのは、なくなるということではない。なにもないとは、すべてがあることを意味する。」

ライトの下の映写師は、台本を閉じる。

「・・・しつこい奴だな。」

はちは、一階から追いかけてくる子どもへ、ぽつりと呟いた。子どもは、今はツナギにベレー帽の出で立ちである。かろうじて聞き取れる声で、長台詞をぶつぶつと読み上げている。帽子の影に目を隠し、口元だけで彼らに微笑みを見せる。

「君は、なにをもって心を守るというのか!」

丸めた台本を勢いよく突き出す問いかけに、答える者があった。ベレー帽に絵筆を見せつけたのは、他でもないしろである。

「ペンは、剣よりも強し、ですよ!」

得意満面の笑みに、

「興味深い、それが君を守れるか試してみるか。」

挑発的な口ぶりの子どもは、左手で帽子を右方向にずらした。その下から出てきたのは、掌ほどの大きさの、頑丈で硬そうな、中央の細長い穴が特徴的な物体であった。そこに、握るための持ち手が嵌め込まれている。

「・・・まさか。」

はちは頬を引き攣らせた。ベレー帽が、なにをもって心を守る、すなわち、他人の命を奪おうとしているか、漠然と見当がついたからだ。ヒントはしろの言葉にあったのか?危険予測のサイレンが鳴ったはちは、構えを解かないしろの絵筆を奪い、駆けだした。目指すはエレベータホールだ。これ以上、この店にいたら身も心も持たない。なますになるよりも前、はちは叫んでいた。

「戦線離脱以外に選択肢が存在しねぇよ!」

帽子の中より出現した、鋭利な光が彼らの影を両断した。

彼らは斬りかかろうと刃物を振り回すベレー帽から、決死に逃げた。速度は落ちず、空を斬る音はすぐ後ろまで来ている。はちはやぶれかぶれにリュックを触る。すると、先程の、舌を抜くのにぴったりのピンセットが再び指に触れた。恐ろしい思いに駆られ、手を力いっぱい振り抜くと、それは手から滑り落ち、地に落下した。すると、偶然にも追跡者はそれに躓き、床に額から倒れ込み、帽子が飛び、そのまま動かなくなった。追跡者の背丈ほどの刃物が回転、床をスライドし、ぴたりと止まった。彼らはこれ幸いと5階へとエスカレータを駆け上がった。

膝を両手で押さえ、ぜえぜえと空気を肩から取り入れるはちの横目に、案内板が映った。
この階では、有名ブランドの紳士用の衣類や鞄などが取り扱われ、広めの通路を挟むと今度は、プロアスリートが試合時に使用する運動用品が、これまた社名を誇らしげに見せつけている。昼間は財布に余裕のある自称中流階級が、まったりと買い物を楽しむ、そんな雰囲気なのだろう。はちは酸素が戻ってきた脳で、自分とは縁遠い生活を想像してみるも、彼らがどんな表情をして、なにをもって物の質を確かめているのか、いま一つ像を結べなかった。敬礼の腕の位置で、フロアを見渡すしろが言う。

「はち、あっちも照らしてください。」

はちは頭を動かし、ヘルメットの光の照射地点をずらす。頼りない光ではあるが、なければ足下すらも不明瞭であるだろう。背後を気にしつつ前方へ歩を進める。天井の様子をちらちらと観察し、足が引っ掛かったと感じた箇所は何度か踏んで、安全を確認してから進んだ。隣のしろが、くすりと笑った。はちが「なんだよ」と問えば、しろは答える。

「つまらないって思ってません?」

「そんなわけがねぇだろ。」

はちは即答した。

過剰ともいえる慎重な歩みで、5階を探索している。今のところ、異常は無いが、いつどうなるかはわからないから警戒するに越したことは無いだろう。揶揄するしろに、はちは言う。

「甚だ誤解ってやつだ。」

しろは「そうですね」と大きく頷く。

「ここは5階です。後半戦ってとこですね。」

「・・・それも誤解だ。」

漢字の見える目を持つはちは、眉をひそめ、気分を変えようと外の景色を探した。が、このフロアには窓がなかった。もう夜が明けるのではないか?店に入ってから、ずいぶんと時間が経った気がした。

「ゴカイがゴカイですか?」

きょとんとするしろを連れて、あちこちを注意深く歩き、異常のないことを確認すると、そのまま階段室へ進んだ。追ってくるものもなければ、空より降ってくるものもない。響くのは2人分の足音だけであった。

6階の階段室から出ると、すぐに楽器屋があった。フロア全体の半分以上を占める店は、壁も床も、全面楽器で埋め尽くされ、本棚にはスコアの山が隆起する。
「音楽」と考えるだけで、はちは頭が痛くなる。夜ごとに聞こえる「音楽」が、仮にここから聞こえてくるのならば、演奏者に一言言わなければ気が済まなかった。
――いや、言わなくてもいいかと、はちは考えを改める。演奏さえ止めてもらえれば、その人物がどんな生活を送っていようが、どんな考えを持っていようがなど、どうでもよかった。だから、楽器屋を一瞥したとき、はちは、しろに尋ねた。

「・・・ここの店は移転したんだったか?」

「いえ、ここはずっと音楽のお店ですよ。」

しろの目にも、戸惑いの色が浮かんだ。
無いのだ。この街の高校生がバンドでもやってみるかと思い立ち、勢いで店にやってきたとしても、ある程度は賄える台数のギターも、昔を懐かしんで冷やかしにきただけの経験者を満足させる程の種類豊富なピアノも、どこの民族の祭事に用いるかと、店員へ訊ねそうな使途不明の楽器も、オーケストラが結成できそうな程の弦楽器、金管楽器の群れも、どこにも無かった。本棚から溢れんばかりに入荷していた楽譜は見当たらず、棚はすっかり空になっている。楽器の支柱は、S字のフックと共に駕篭に入れられ、譜面台は店の隅にまとめて寄せられている。

「・・・全商品を入れ替えるのか?」

はちは思いつく限りを口にする。

「お客さんはびっくりするでしょうね。」

しろは首を傾げた。
その後、彼らは店を探索したが、音を奏でるためのなにかしらの物は、店の裏側に設けられたスタッフ用の倉庫も含めて、見つける事は出来なかった。喫茶室での男の話を思い出したはちは、否定するように呟く。

「・・・幽霊なんざ、存在しねぇっての。」


【続】
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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説明

秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

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