【小話】本の虫へ紫の差入れ【更新】

冬の寒さが少しだけ和らいだ昼時、布団を干すというミッションを終えた氷山しろが達成感とともに黒蝶堂に戻ったとき、彼は堂内に他者の気配を嗅ぎ取った。「お客さんとは珍しいですね」と、奥間より碧い目を光らせる。堂長席の黒川はちは、机に突っ伏したまま眠りに落ちており細い寝息を立てている。彼を叱咤する少女の姿もない。いつもは棚の上で読書を楽しんでいる彼女の不在が、堂長の安眠を支えている。黒蝶堂のガラス戸から、表通りを歩く者たちの足が右に左に流れていくのが見えた。堂長席の脇に摺り足で歩を進め、棚にこそこそと寄り、スパイのような気分で、棚の陰より来客者を捕捉する。自分たちより少し年上くらいだろうか、細身のパンツとこけた頬が印象的な人物だ。

客人は、挙動不審という言葉がぴったりの所作で、「自らを映す他人の目」という鏡の在処を探っている。しばらくの間、足音をたてずに棚と棚の間にできた通路を巡っていたが、ふと、堂の隅、ある書棚の前で足を止めた。節ばった指を伸ばし、前方の書物を抜き取る。パラパラと建築関係のタイトルが書かれているそれをめくっていたが、その指を止め、そろそろと1枚のページを破り始めた。堂長は目覚めない。最後までちぎり取り、再度書物を棚に戻すと、客はそれを、躊躇無く口に運んだ。

「お腹が空いてるんですか?」

碧い瞳に、客の全神経が集中した。ちぎられた残りの部分を背中にまわすが、注がれる熱視線に、やがて観念して、諸手を上げた。

「おいしそうだったから、つい。」

「でしたら、これはどうですか?」

しろは上着のポケットから、電灯の光に照らされた鮮やかな色を取り出した。

「味が変わって、また新鮮な気持ちになれますよ。」

瓶に入った赤にオレンジ、そして紫は、彼特製のジャムである。まさかの提案に、視神経を色に注いだ客はひるみ、言葉を漏らす。

「君は、変わってるね。」

「そうですか?」

「自覚がない?」

「・・・なにを騒いでるんだ?」

疑問符飛び交う空間で、彼らの背後に立った堂長が、目を丸くした。
その腕が、白い頭を捉え、自らに向かせる。目には静かな怒りが浮かんでいる。

「うちはいつから、人様にごちそうできるくらい裕福な生活水準になったんだ?」

「おいしいものを食べたいという欲求は、世界全国全民共通だと思うんですよ!」

「まさか、はちも食べたいんですか?」と笑顔で問うてくるしろに、「んなわけねぇだろ!論点をずらすな!」と、彼の体を前後に揺すった。

「訂正しようかな。」

やりあう黒蝶堂を前に、客はくすりと笑う。

「君たちは、変わってるね。本当に。」

「てめぇに言われたくねぇよ!」

客が相手だというのに、堂長は口が滑ったことにも気が付いていない。
しかし、インクを口元に付けている客と、犯行を幇助したといってもいい自分の同居人のどちらも、悪びれる様子はない。彼らを前に、はちの怒りは矛先を失い、日々しぼんでいく風船のように、ゆっくりと消えていった。そして、諦観のため息を一つしたところ、黒蝶堂の表戸が開かれた。

「見つけた!」

現れた第二の客は、つかつかと寄ってきて、第一の客の首根を掴んだ。その頭を力ずくで押さえ込み、「申し訳ありません!」と、自らも深々と頭を下げた。

「・・・えっと。その。」

「弁償させてください!」

どうやら第二の客は、第一の客の保護者のようであるらしい。「お金は、ありますから!」と財布を献上してくるような体勢の客に、「・・・いいっスよ。食べちまったもんは、仕方がねぇし。」と、完全に怒りが抜け落ちた堂長は続けた。
呆気にとられ、急展開に、頭がついていかなかったのも理由の一つだ。そしてもう一つの理由が、

「厄介な症状なんです。」

「・・・大変っスね。」

第二の客の振る舞いが、どことなく自分を連想させるものであったからだ。
面倒だが、話を聞く必要があるようだなと、再度、ため息を吐いた。

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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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説明

秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

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