【小話】深緑の旅人【更新】

新刊と古書の間、幾多の人間の手を渡り歩いて黒蝶堂にやってくる本たち。その群れの中には、顔見知りの奴が紛れていることもある。

「飽きもせず今日もそこに座っているのかね、堂長。」

「・・・当然だろうが。これが、オレの仕事だっての。」

目をつぶった。自分は視力が弱いから、見間違えても仕方のないことだ。買い取った書物を棚に並べようとしたら、手が滑って地上に落下した。その拍子に、表紙に描かれた影がみるみる床を浸食し、目の前で深々とお辞儀をする、背の高いシルクハットの人物を形作った。正体不明の現象に、持病の頭痛がひどくなるが、それでも会話は続いていく。

「すばらしい景色を見てきたんだよ。」

頭上いっぱいに広がる晴れ渡る空の向こうには、深い緑で縁取られた起伏ある山脈、眼下の村から繋がるたった一本の曲がりくねった舗装のされていない道路を、荷台に土まみれの野菜を積んだ軽トラックがのろのろと登ってきて、時折訪れる客人のために店主が腕を振るい、夕暮れとともに一日が終わりを迎える。私は人の目を盗んでは寝室から抜け出して、澄んだ空気を全身で味わって、夜は星空を見上げていつの間にか眠っていることも多かった。空が藍色になったかと思うと、まもなく白んできて、日が昇り、また一日が始まる。そんな毎日を送っていた。

シルクハットは、咳払いをして目を細める。

「・・・気に入ったのなら、ずっといりゃあよかったじゃねぇか。」

「そういうわけにもいかない。私はひとところには留まれない。」

「・・・それなら、なんでてめぇはここに戻ってきてるんだっての。」

「知っているか?旅人は、帰る場所があるから旅ができるんだ。」

「・・・わけがわからねぇ。」

こう言うときに限って、会話が繋がりそうな白い同居人は外出中である。旅人を旅人にしてくれる、あわよくば、あちこちを転々とさせてくれる客人が早く来ればいいのにと思う。繋がらない会話は、なかなかに疲れるものだからだ。書物を拾い上げて棚の端に寄せると、もっと広いところに置けと文句が出た。特別に、陽が照りつけるところに置いてやろうと決意し、黒蝶堂の扉を開けた。

【了】

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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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秋雨

Author:秋雨
人間と憑者のライトホラー物語。

現実世界その他諸々の事象とは、一切関係ありません。著作権は放棄していません。なにかありましたら拍手からお願いします。

【管理人】

秋雨。成人済。

【主な登場者紹介】

黒川 はち

古書店黒蝶堂堂長。
気苦労の絶えない受難者。

氷山 しろ

黒蝶堂副長。
電波的言動の目立つ青年。

ゆり

黒蝶堂憑者。
冷静沈着な少女。

深見ヶ原 牡丹

深見ヶ原墓地憑者。
猪突猛進イノシシ娘。

カコ

川辺の憑者。
人間嫌いで鬼桐の部下。

鬼桐

煙草が手放せない隊長。
熱くなると誰にも止められない。

黒川 伊織

はちの祖父で先代堂長。
3年前に他界。

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